4月23日(木)、晴天の下ベトナムのダナンに寄港しました。
まず最初にグエン・ティ・ビン元副大統領とお会いしました。グエン・ティ・ビン氏は、1960年に南ベトナム解放民族戦線の結成に参加し、アメリカに対するゲリラ線を中心的に戦いました。1969年のベトナム戦争終結にむけたパリ会談にゲリラ線の解放戦線の代表として出席し以来、「アオザイの闘士」と呼ばれていた方です。現在は、枯れ葉剤被害者の救援にも尽力されており、この度はダナン寄港中の本船上で行われるNGO会議「国連ミレニアム開発目標と女性の役割」に出席するためピースボートに来られました。
ピースボートを訪ねてくださったグエン・ティ・ビン元副大統領(中央)
グエンさんは、「ダナンは、ベトナム戦争時にアメリカ軍が初上陸し、最も戦争被害が大きかった場所であり私のふるさとでもあります。被爆者のみなさんと、ここでお会いできたことは大変嬉しく思います。今後、この地球の平和や人々の幸せのために力を合わせていきましょう。」と述べられました。
その後、ベトナム戦跡がある民家に行きました。ここでは、ベトナム戦争の時ゲリラとして対抗していたベトナム解放軍側の兵士が使っていた暗くて細い地下道を見学しました。
午後からは、2つの枯れ葉剤被害者支援センターに行きました。枯れ葉剤の被害者や障害児が暮らす施設で、枯れ葉剤の被害についての説明や交流などを行い、センターで昼食をとりました。
ダナン枯葉剤被害者リハビリテーションセンター(第一)にて挨拶した萩野美穂子さん(中央)
さくら日本語学校では、塚本美知子さんが約30名の生徒たちの前で被爆体験の証言を行いました。塚本さんは、原爆によって亡くなられた両親の無念の思いと悔しさを伝え、このようなことが二度と起こらないようにと生徒たちに話しました。
さくら日本語学校で写真の紙芝居を使って証言する塚本美知子さん
紙芝居と写真を使った被爆当時の状況の説明を、証言を聞くのは初めてという生徒たちは、みな真剣な眼差しで聞いていました。質問の時間には、「アメリカ政府にたいしてどう思っているか」「日本の被爆者には政府から支援があるのか」などの質問が出ました。
その後、生徒たちによる歌の発表で「ふるさと」と「上を向いて歩こう」があり、私たちからは「青い空」と「にんげんをかえせ」を歌いました。また、茶道のお手前やプレゼントなどを頂き大変有意義な交流となりました。
(佐々野桜)
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