この夏、嬉しい贈り物を受け取りました。8月6日8時15分の広島を世界に伝える配信アクションを終え、平和記念公園レストハウスでホッと息をついたところに差し出された茶封筒。取り出して手に飛び込んできたのが、新刊「明子さんのピアノとパルチコフさんのヴァイオリン」でした。著者3名、廣谷明人さん、二口とみゑさん、西村文さん(中国新聞社)がそこにいて、出版の喜びを肌で感じました。
明子さんのピアノとパルチコフさんのヴァイオリンは、78年前、広島への原爆投下を生き抜いた楽器です。持ち主の名前は河本明子さんとセルゲイ・パルチコフさん。「河本明子さんはアメリカで生まれ、ピアノとともに両親のふるさと広島に帰り、原爆によって19歳で亡くなり」、「セルゲイ・パルチコフさんはロシアで生まれ、ヴァイオリンとともに日本に亡命し、広島の原爆を生き延び、アメリカで生涯を終えた」と本書にて紹介されています。
私たちピースボートとこの2つの楽器の出会いは2019年の夏に遡ります。
https://peaceboat.org/29929.html
HOPEプロジェクトさんの協力で広島で乗船したピアノとヴァイオリンは、長崎や釜山、ウラジオストックなどを巡り、13回のコンサートで約2,000人にその音色を響かせてくれました。北海道では地元の子どもたちの歌声と共鳴し、被災地石巻では被災した方々の心を癒しました。航海中、この2つの楽器は、70年以上前のあの日に同じ広島に存在していた、と紹介されましたが、持ち主が接していた事実はありませんでした。しかしなんと、旅の余韻残る数か月後、パルチコフさんのお孫さんで米国に住むアンソニー・ドレイゴさんが持っていた写真のなかに一枚、パルチコフさんと明子さんが一緒に写った写真が見つかったと知らせを受けたのです。その驚きと感動を本書は鮮明に語っています。
私はこの本に書かれた明子さんの生涯を、自分の幼少期と照らし合わせながら読み進めました。百貨店で「モロゾフチョコレート」に眼をみはった場面、試験が思うようにいかない場面には、「私も親にこんなことしてもらった」「自分も同じこと考えていた」など、重なる点が実に多いこと。親友のお母さんが亡くなった場面は、まさに同じ体験でした。明子さんの日常、楽しい思い出、ささいな不満、誰もが経験したことなのでしょう、原爆投下までは。
この本では、章の移り目を、ピアノを受け継いだ二口とみゑさんのエッセイがつなぎます。楽器の存在ゆえに生まれた出会いや出来事を「明子さんからのメッセージカード」と表現しています。温かい音色で、あの日断たれた命といま生きる私たちを結びつけ、「これからも奏で継いでいってね」というミッションカードのようにも思えます。
投下翌日にこの世を去った明子さんとは異なり、パルチコフさんは生き延び、アメリカに渡りました。原爆を経験しながら冷戦期軍拡競争のまっただなかに暮らすパルチコフ一家の戸惑いや苦悩からは、いまでも続く東西分断の根っこが見えます。広島の地に戻ったヴァイオリンは、音楽で創ってきた人とのつながりとともに世界の情勢に翻弄される一家の歴史を伝え続けるでしょう。
さぁ、2つの楽器とこの1冊に出会った私たちは、どのようにこれを伝えていくのか。
裏表紙に廣谷先生が書いてくださった“Music for Peace”、二口さんによる“平和のために、共に!”の文字には、奏で継ぎ、心に響かせ、平和に向かって歩む道筋が込められているような気がしました。
(ピースボート 松村真澄)