3.核廃絶へのいろいろな動き

【イベント】紀子さんとのトークイベントを振り返って

10月31日、新宿区高田馬場にある「とうきょうピースボートセンター」にて、被爆者の坂下紀子さんをお招きし「出版記念トーク「ピースガーデン 紀子さんと考える未来へのバトン」」を開催しました。
これまで密を避けるためにオンラインでのイベントを開催していましたが、今回は久しぶりにオフラインで開催し約20名の方がご来訪されました。

紀子さんは被爆当時は2歳のため原爆投下当日の記憶はありません。そんななか、おかあさんやおばさんが必死に語り継いでくれたその日のことやその後の状況などを「命のバトン」と呼び、自身の被爆証言として話しています。今回出版した新刊「ピースガーデン~継承の庭~」には、当時の被爆証言だけでなく、その後の就職や結婚、「山中茉莉」というペンネームをもつことになった経緯など紀子さんの人生がつづられています。
今回のイベントでは被爆証言ではなく、紀子さんがピースボートと出会ったきっかけや新刊を出版するに至った経緯、本を通して読者へ伝えたかった想いなどを伺いました。笑いが起こる場面もありみんなの距離が近い温かな会となりました。

紀子さんのように被爆当時が幼児のため自身の記憶があまりなかったり、生まれる前の胎内で被爆したりといった被爆者は「記憶のない被爆者」と呼ばれています。記憶のない被爆者は、その後の被爆の影響を調べる検査などでは対象外となることが多かったため、現在残されているデータやアンケートには自分たち幼児被爆者世代のことは反映されていないそうです。
「『記憶がないからこそ被爆したことが今後どんな影響として出てくるのかがわからず怖い』『親が被爆したことを本人に隠そうとしていたことこそが、被爆の恐ろしさを伝える証拠なのではないでしょうか』」と紀子さんは訴えかけました。

話に聞き入る参加者

ピースボートをはじめ、学校など様々なところで被爆証言活動をおこなっている紀子さんですが、最初に被爆証言をおこなったのはピースボートクルーズでおりづるプロジェクトメンバーとして乗船した時でした。しかもメンバーとして乗船が決まった当初は「私は被爆者の中でも若手だから、先輩方が思う存分活動できるようにサポートを頑張るぞ」と思っており自身が証言をすることになるなんてこれっぽっちも思っていなかったそう。
そんな中、プロシェクト立ち上げ者である川崎哲に「メンバーとして乗船してもらうからには、ご自身の言葉で証言をしてもらいます」と言われたのがきっかけで紀子さんの証言活動がはじまります。
会の中では、そういった被爆証言を始めることになった秘話や紀子さんが70代になってから学位を取得した話など、著書に書かれていることを深堀しながらお話を伺っていきました。

質疑の時間には「つらい時や失敗して落ち込んでしまった時はどんな風に気持ちを切り替えているのか」「これからはみんなが原爆当時のことを知らない世代になるが、どんなことを意識して継承していけばいいのか」といった質問が出ました。

紀子さんへ質問する参加者

最後に紀子さんは「被爆してよかったとは思わないが、自分が被爆者だったからこそ今の多くの繋がりができた。今の繋がりはすべて自分が証言活動をするために神様が与えてくださったものだと思っている」と、すべてのものに感謝していました。
紀子さんをはじめ被爆者の命のバトンが今後も受け継がれ、平和がどんなに大切で尊いものなのかを感じながら、世界から核兵器を無くなるよう行動していかなくてはいけないと改めて感じる時間となりました。

(ピースボート 橋本舞)

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