6月9日、ピースボートはアイスランドのレイキャビクへと寄港しました。
アイスランドには「今の天気が嫌なら15分待て」という言葉もあるほど天気が移りやすいそうですが、今回の寄港時は一日中青空が広がっていました。初夏を迎え、アイスランドの中でも暖かい地域であるレイキャビク。この日の最高気温は20度。それでも先週までは、まだ2mほどの雪が積もっていたんだとか。そんなレイキャビクには、世界の歴史上でも重要な出来事があった場所があります。
それは「ホフディ・ハウス」ーー世界最北にある首都レイキャビクの海岸に、ぽつんと建つ一軒の建物です。
この場所で、1986年10月11日~12日にアメリカのロナルド・レーガン元大統領とソビエト連邦のミハエル・ゴルバチョフ元大統領による会談がおこなわれました。両国の核兵器廃絶までにはあと一歩及びませんでしたが、中距離核兵器の削減に合意し、「冷戦の終わりの始まり」ともなった大きな意味をもつ歴史的な会談となりました。
(この会談は、チョルノービリ原発事故でゴルバチョフ元大統領が核戦争を「疑似体験」し核軍縮を急いだ結果、急遽実現したとも言われています。)
レイキャビク市では毎年8月6日あるいは9日、核兵器の無い世界を祈って、ろうそくに火が灯されます。
おりづるプロジェクトメンバーとウクライナ・ユース・アンバサダーのメンバーは、そんな歴史的な場所を訪れることで、今一度、核兵器廃絶や現在も続く戦争終結に向けての思いを新たにし、そして、世界中の核被害に苦しむ人、問題に取り組む人に想いを寄せました。
現在ホフディ・ハウスは、レイキャビク市が管轄する建物となっており、通常は外観のみの見学ですが、レイキャビク市副市議のステファン・パルソンさんとレイキャビク市長室プロトコル担当・市役所事務局長のアンナ・クリスティンスドティルさんの尽力により、今回は特別に内覧もできるように手配をしてくれました。
中に入るとエントランスは吹き抜けになっており、それを取り巻くように2階への階段が続いています。すべて合わせても6、7室しかない建物内は、厳かな雰囲気というものではなく、どの部屋にも陽の当たる暖かさの溢れる一軒家でした。
各部屋には会談当時の写真や、兵庫県や栃木県にホフディハウスを模した建物があるという紹介、広島の平和資料館から贈呈された被爆ガレキの一部が展示されていました。
アメリカとソ連の中間地点との理由もあり会談の場所として選ばれましたが、当時の街の人々は「本当にここで歴史的な会談がおこなわれるのか?実際にくるメディアや警備の数に対応できるのか?」と信じられなかったといいます。また、会談当日の様子を残した写真はもちろんのこと、10日間という期間で急ピッチに準備が進められたため
・ポスターに誤字があった
・警備の人も建物内での会談が気になりすぎて(建物に背を向けて立たないといけないところを)建物の方を向いてしまうこともあった
という出来事も写真とともに展示されていました。
1時間もかからずに見学できる広さでしたが、滅多に見ることができない貴重な機会のため、メンバー全員が建物内部の様子を写真だけでなく自身の目にも焼き付けていました。
今回、内覧のために調整してくれたステファンさんとアンナさんにお礼を込めて9条プレートと、広島長崎の風景が印刷された折り紙をプレゼントしました。二人とも大変喜んでくださり、アンナさんからは「なんてきれいで細かな作品なの!!」と感想をいただきました。
6月15日Yahooニュース
冷戦の記憶と平和 被爆者とウクライナ若者がレイキャビクで見たもの
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d9acb2c26832f63ecedc22a4003777a1cdb9c7e0
(文:橋本舞)