8月9日11時2分。人類史上2回目の原爆が長崎で炸裂しました。
その年の暮れまでに、長崎市人口の3分の1にあたる約7万人の方が亡くなりました。
それから64年が経った2009年、長崎市内の繁華街で黙祷をする人が少なくなったように感じた被爆者の小川忠義さんは「実際に原爆の被害にあった長崎がこの状態では、このまま長崎原爆の日が風化し再び核兵器が使用される日がくるのではないか」
そんな危機感を抱いたといいます。
小川さん自身も原爆投下後の1週間後に、疎開先から自宅(爆心地から1.5㎞地点)の様子を見に来たことによって入市被爆をしました。
「1歳だった自分自身の記憶はないが、被爆者として何ができるのか」
考えた小川さんは、自身の趣味だったカメラを活かし、仲間に呼びかけて2009年からあるプロジェクトを始めます。
”忘れないプロジェクト”
「原爆の日を風化させずに長崎を最後の被爆地とするために」
「核兵器が使用されれば、今ある日常が一瞬にして奪われてしまうということを意識してもらうために」
プロジェクトにはそんな想いが込められています。
始めはカメラ仲間の4,5人で始めましたが、そのうち仲間のライフスタイルの変化により2015年からは小川さん一人の活動になりました。それでも「ナガサキを最後の被爆地にするために」との想いで活動を続け、2023年には日本国外を含め251枚の写真が集まりました。しかしこのままでは自分が活動できなくなった時に、本当に忘れられてしまう。そこで小川さんは孫娘の長門百音(ながと もね)さんへ活動を継承したいと考えるようになりました。
まずはプロジェクト宣伝のためにSNSを始めてもらったり、展示写真の準備などを一緒にしたりなど少しずつ活動の意義を伝えていきました。そして2024年、Voyage117 ヒバクシャ地球一周 証言の航海(通称:おりづるプロジェクト)への乗船が決まった小川さんは、「自分の証言活動を見てもらい、世界中の人との出会いを通して、たくさんのことを学んでほしい」と百音さんも一緒に乗船させることを決意します。
船内では忘れないプロジェクトを始め、小川さんがこれまでに撮ってきた、ウクライナのキーウやオデッサ、チェルノービリ原発を訪れたときの写真を使用した「ウクライナに笑顔を」や「チョルノービリの証言」と題した写真展を実施しました。
また寄港地での活動の際には、自身の被爆証言とともに忘れないプロジェクトを紹介し、ぜひみんなにも参加してほしい、と呼びかけました。
(日本時間ではなく)現地時間でいいから「8月9日11時2分」に自分の好きなものや大切な人など、なんでもいいので日常を切り取った写真を撮って送ってほしい。(その時刻を意識してもらうことが大切なので)もしその時刻を過ぎたとしても気にせず思い出した時に写真を撮ってくれたらいい。
スマートフォンが発達した今の時代、誰でも簡単に写真を撮ることができます。
「難しいことは考えずに、まずは若者にも気軽に参加してほしい」と小川さんは話します。
「世界中で宣伝してきた今年は、何枚の写真があるのか楽しみです」と、10月に開催する写真展に向けて小川さんは今から意気込んでいます。
【忘れないプロジェクト Instagram情報】
@wasurenai_project
https://www.instagram.com/wasurenai_project/
●撮影した写真は8月末日までに、ご住所・お名前・平和へのメッセージ(一言で可)を添えてお送りください。匿名でも結構です。
●展示の際、ご住所(市区町村)とお名前、メッセージを写真に添えて展示します。
●写真・データの返却はしておりません。また次回の「忘れないプロジェクト写真展」開催時に、広報用チラシの素材として使用させていただく場合がございます。
写真は上記SNSのメッセージでお送りいただくか、お問い合わせ先のナガサキピースミュージアムのメールアドレス(museum@nagasakips.com)へお送りください。
(文:橋本舞)