2024年_ヒバクシャ地球一周(Voyage117)

9条の碑のあるラスパルマスへ

ピースボートはスペインのカナリア諸島にあるラスパルマスへ寄港しました。ピースボートがラスパルマスに寄港するのは約12年ぶり!
被爆者の小川さんも田中さんも久しぶりの訪問とのことで、訪問当時の思い出を話しながら寄港を楽しみにしていることを教えてくれました。

私たちが寄港するラスパルマスの隣、テルデ市には「ヒロシマナガサキ広場」という日本の地名が広場があります。そしてそこには日本国憲法第9条の条文を記載した「9条の碑」が掲げられています。日本国憲法第9条とは、日本が戦時中におこなった侵略の歴史を反省し二度と同じことを繰り返さないようにと「戦争放棄」と「恒久の平和」への想いを形にしたものです。戦争をしないと誓った内容のため「平和憲法」と呼ぶこともあります。

9条の碑の前でフアン氏とおりづるメンバー

ではなぜ、日本から遠く離れたこの土地に第9条が伝わっているのでしょうか。歴史は1960年代まで遡ります。
当時ラスパルマスは、日本の遠洋マグロ漁船の補給基地として、多くの日本漁船が止まる港でした。最盛期の1970年代にはその船員や家族に向けた保養施設や日本人学校もあったそうです。(現在はその数は減り施設は閉鎖していますが、在ラスパルマス領事事務所は現在でもあります)
そんな風に日本との関わりがあったラスパルマス。その後1982年、スペインがNATOに加盟する際に、「武力で問題を解決するようになるのか」と思った人たちによって加盟への反対運動が起こりました。当時のテルデ市の市長も議会で加入反対を表明します。そんな時、憲法9条やヒロシマナガサキのことを知り感銘を受け「この平和な考えも自分たちも受け継いでいこう」と決めて、9条の碑を掲げることになります。

平和への想いを強く持つラスパルマスに寄港した私たちは、まずはテルデ市にある「ヒロシマナガサキ広場」へと向かいました。途中ラスパルマス市内にあるカラフルな町並みを車窓観光。中には、日本の漫画を取り扱っている本屋さんも見ることができました。
港から約30分をかけて広場へと到着。本日の交流会をコーディネートしてくれた、市議会議員のフアン・マルテル氏と観光局のマラ・ヴェガ氏が出迎えてくれました。12年前に実際に広場を訪れている小川忠義さんは「あの時と変わらずに、広場も碑も大切にしてくれていることに感謝します」とフアン氏へ伝えました。

青少年ユース代表と記念撮影

一行が9条の碑の前で挨拶や記念撮影をしていると、交流相手である青少年ユースたちが広場に到着。小学生低学年から高校生までの幅広い年代が約60名ほど集まり一緒に記念撮影をしました。
広場での記念撮影後は市庁舎へ移動し証言会へ。小川さんの証言とおりづるユースのミキが発言をし、40分ほどの時間を真剣に聞いてくれました。そして青少年ユースたちから被爆者へ「兄弟・仲間の証」を表す緑色のスカーフが「今日から私たちはみんな仲間です。話していただいた(被爆)体験が二度と繰り返されないように、今後一緒に考え平和をつくっていきましょう」というメッセージとともにプレゼントされました。また、フアン氏からもテルデ市のマークが入った文房具や特産の陶器をいただきました。

その後フアン氏のご厚意で、市庁舎近くの民族博物館を案内していただきました。この博物館は元々上流階級の人が住んでいた家で築300年になるそうです。また、カナリア諸島は島によって伝統の踊りや歌があることや、ラスパルマス、テルデ市の伝統工芸品や衣装などをみんなで学びました。

絵本をプレゼント

9条プレートを渡す場面

フアン氏やマラ氏に見送られながら一同は港へと帰航。帰りの車の中では、「海風が心地よく時間もゆっくり流れているような気がする、日本以外に住むならここがいいね」という話題で盛り上がりました。

ピースボート寄港は現地メディアにも取り上げられました。

テルデ市の新聞に掲載されました

日本語仮訳:2024年5月29日(水) CANARIAS7
テルデ、ヒロシマ・ナガサキとのつながり」
~感動的な出会い。核攻撃を生き延びた日本人の2人、田中 稔子さんと小川 忠義さんがテルデのサン・フアン地区にある広場を訪れ、20万人以上の犠牲者を追悼した。フアン・マルテル観光市議が一行に同行した~
写真上:何名もが田中さんと小川さんのテルデ市への訪問に加わった
写真下:田中さんと小川さんがフアン・マルテル市議や地元警察の責任者とともにポーズ

1945年8月に米国が広島と長崎という日本の都市におこなった悲惨な核攻撃の生存者の2人である田中 稔子さんと小川 忠義さんが先日テルデ市を訪問した。観光・文化担当市議会議員のフアン・マルテル氏が一行を歓迎し、市内のシンボル的な場所を案内した。
最も心を動かされた言葉が聞かれたのは、テルデ市サン・フアン地区にあるヒロシマ・ナガサキ広場でのことだった。アジアからのこの一行は、かの悲劇で亡くなった20万人以上の犠牲者を追悼し、さらに何年も経ったあとにも放射能の多大なる影響を受けて続けていることを伝えてくれた。
稔子さんと忠義さんにとって、グラン・カナリアの訪問は初めてではなかったようだ。1980年代にもピースボートはこの島を訪れており、今回はナミビアから10日間の航海をへてラスパルマス港に寄港した。世界中に平和と核兵器反対のメッセージを広める目的をもった航海である。
市庁舎でのイベントでは、フアン・マルテル氏が彼らの勇気と世界平和を目指し続けるその歩みに対して感謝の意を示した。同じ場所にテルデ市ボーイスカウトの約20名の若者たちも招かれ、近代史に残るグロテスクな蛮行の被害者となってしまった方々に出会い、彼らの体験談と平和へのメッセージを共有した。改めて戦争の恐ろしさを思い起こし、核兵器のない世界を求めていくことが伝えられた。
広島で被爆し大やけどを負った稔子さんは、国際的に証言を伝えていくことにその人生を捧げ、米国にも何度も足を運んでいる。一方、長崎で被爆をした小川 忠義さんは、原爆の破壊的な影響について、後世の人々に教育として伝えていくために写真を収集し、記録として残してきている。
マルテル氏は街の特産の陶器をプレゼントし、民族学博物館やサン・フアン大聖堂などテルデの歴史遺産を案内した。ボーイスカウトからは、この青年団体のシンボルカラーのスカーフがそれぞれにプレゼントされた。この被爆者らのグループには、核問題や国際公法などを研究する若者、ジョエル・直樹・クリストフさんも参加しており、多言語、多文化の経験を生かして被爆者たちと旅をし、核兵器についての理解や議論を深める役目を担っている。ロンユアン・フアンさん、田中煕巳さんもこの旅の参加者である。 ロンユアンさんは中国生まれ、日本で学んだ経験があり、現在は米国に住んでいる。田中さんは東京理科大学で物理学を修め、工業博士でもある。

 

文:橋本舞

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