2025年_ヒバクシャ地球一周(Voyage120)

レイキャビクに刻まれた記憶と未来

北大西洋を渡り、ピースボートVoyage120はアイスランドの首都・レイキャビクに寄港しました。

この日は、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)事務局長のメリッサ・パークさんや、アメリカが国内でおこなった核実験により被ばくし、その後の国家補償を求める活動をしているメアリー・ディクソンさんらも一緒に行動を共にしました。

会談に使用されたとされるデスクにて記念撮影

一行がまず向かったのは、レイキャビクでも特に象徴的な場所である「ホフディ・ハウス」。
ここは、1986年にアメリカのロナルド・レーガン大統領と旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長が、冷戦期の緊張を緩和するための歴史的な首脳会談をおこなった場所です。このレイキャビク会談では、核兵器の全廃にまで踏み込んだ議論が行われたものの、最終合意には至りませんでした。しかし、この対話は後の「中距離核戦力(INF)全廃条約」の締結へとつながり、米ソ間での中距離核ミサイルの大幅削減という重要な一歩となりました。

現地ガイドのステファンさんが、当時ホフディ・ハウス周辺は厳重な警備体制が敷かれていたことや、館内にある会談が実際に行われた部屋などを詳しく案内してくれました。

ステファンさんはさらに、ホフディ・ハウスにまつわるユニークな逸話も紹介してくれました。市街地からやや離れた場所に立地するこの建物。夜遊びを楽しみたかったスタッフたちは、もっと中心部に近いオフィスへの移転を提案しましたが、却下されたとのこと。
しかし諦めきれなかったスタッフは「幽霊が出る場合は引っ越しを認める」という情報を発見します。そこで「勝手に扉が開いた」「白い影を見た」といった怪談話を広げ、「ここは幽霊が出るから引っ越しましょう」と訴えたそうです。なんともユーモラスな話に、一同は思わず笑い声をこぼしました。

続いて、ステファンさんが所属するレイキャビク最大の平和団体の事務所を訪問しました。

ステファンさんが所属する平和団体の事務所にて

この団体は、毎年8月6日と9日(広島・長崎の原爆の日)に、他の地域の平和団体とも協力し、国会議事堂前にある池でキャンドルを灯す追悼イベントを開催しているそうです。過去におこなったイベント写真には、灯籠流しのように水面に浮かぶキャンドルから、平和の灯を絶やさぬよう願う地域の人々の想いを感じました。

午後からは、ステファンさんの団体メンバーや地元議員が船を訪れ、船内の洋上特別ノーベル平和センターを見学しました。
見学のあとは有識者によるパネルトークや被爆者との対話セッション。

船内でのパネルディスカッション

ICANのメリッサ・パークさん、ピースボートの共同代表である川崎哲が発言し、倉守さんをはじめとする被爆者が証言をおこないました。原爆の被害を語る声に真摯に耳を傾けながら、参加者一人ひとりが「核兵器のない世界」というビジョンに向き合う時間となりました。

会場で話を聞いた人から「普段教員をしているが、これからを生きる若い世代がなかなか興味をもってくれない。どのように巻き込んでいけばいいのか」と質問が出ました。

それに対しメリッサさんは「(核兵器やさまざまな問題を)いかに自分事として捉えてもらえるかが重要です。核兵器使用は戦争や紛争だけではなく環境破壊にも関わってきます。またメンバーの一人が、幼少期で被爆した子どもたちの体験証言集を作成しています。そのようにさまざまな方面から、核兵器の問題は身近な問題であると認識してもらうのも良いと思います」と回答しました。

 

この日をもって、ICAN事務局のメンバーたちは船を下船します。セッションのあとは、軽食やドリンクを囲みながらの交流タイム。別れの時間が近づくなか、「いつまでもお元気で」「お互いに、またそれぞれの場所で平和の活動を続けましょう」と言葉を交わし合いながら、笑顔とあたたかな握手が交わされていきました。

冷戦の終結へとつながった歴史の現場であるホフディ・ハウス。
そして、未来の平和を担う対話の場としてのピースボート。
時を超えて、平和を願う人びとの声が静かに響き合った、レイキャビクでの一日となりました。

 

(文:橋本舞)

 

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