6月19日 金曜日 晴
恒例のトンネル工場へ見学に行く。
規制非常に厳しく中へ入ろうとするとストップがかけられる。
近所のご婦人が頼まれたらしく走ってきて作業の人から
「いつも来ているおばさんを戻してくれ、危険で仕様がない」との事。
私は要注意人物になっているらしい。
でもこの間鉄骨だった階段が出来上がっているのをすばやく見届けたので、大人しく引き揚げる。
今から駐車場の上の道から観察しよう。ゴメンナサイ。
Hさんと名乗るご婦人のお宅は道路の近くで、暑さ厳しいので冷たい麦茶をと案内して下さる。
私は思わぬ取材になるかもと遠慮しながらもお邪魔すると、
果たしてHさん78歳のご主人は昔からの土地所有者で当時も
トンネル工場作業と農業に従事しておられたとか。被爆の時は畑に立ち現在も病に苦しんでおられる。
夫人は佐賀の方だが、今でも県外からトンネルでの仕事をしていた人が家族連れで訪問されるという。
この辺一帯は平田姓が多く地主である。
同年齢のご主人と当時の模様で会話は弾みまたの訪問を約束する。
先日ナガサキのI氏宅へお邪魔して昨年放映されたNHKスペシャル住吉トンネル工場の録画を拝見し、
重要な部分を写真にして送って下さる。
多くの方々に助けられ微力ながらトンネル記も漸く明かりが見えてきた。
6月12日未明二人目の曾孫がこの世に生を受ける。元気な女の子。
クルーズ中ある講演者にかねて悩んでいる放射能の後遺症を質問、
「永遠に」との答えに我々ヒバクシャはこの十字架を永遠に背負っていく運命と重く受け止める。
8月6日・9日も近い。風化され行く核への恐怖は今では考え直すべきである。
無心な赤ん坊の姿を眺めては、トンネル工場、
復元進展を観察に行っては複雑な惑いを感じるのは私一人ではないだろう。
6月9日手帳友の会でNHK広島放送局から「ヒバクシャからの手帳」の題名で
原稿用紙3000字に纏めてとの指示で、
初めて孫6人に宛てた「14歳のあなたへ」と題した原稿を送る。
升目を埋めるのも苦労だが、何も知らない孫たちへのメッセージは、
彼らの目に触れることは皆無と思う。14歳の体験は思い出すのも辛いこの頃である。
(文責:森喜代子)
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