掲載が遅れてしまいましたが森喜代子さんから新たにトンネルのレポートがとどきました!
実は7月の第一週目の週末、私は長崎を訪れる用事があったので、
前日の時間を利用して森喜代子さんを含め「ヒバクシャ地球一周」に参加されていた
3名の皆さんと再会を果たしました!
森喜代子さん、吉田功さん、伊黒キヨミさんのお三方。
船でも大変親しくしていただいていたため、
本当に嬉しい再会でした。
ふと思うんです。これなのかなぁ。と。
私の中で「被爆者」の皆さんは単なる「被爆者」ではなく
「旅を共にした大切な仲間」「年上の素敵なお友達」です。
その視点が大事なのだと思います。
決して特別な人たちに落とされたのではない原爆。
私たちと同じように、家族がいて、学校に行き、あるいは働き、
食事を楽しみにし・・・そんな個人に突然降りかかったのが原爆なのです。
今回の船旅では「被爆者」のみなさんを単なる社会の中での枠組みの中ではなく
個人的な人間関係の中でお付き合いをすることができました。
そしてそんな出会いは時間的にも空間的にも遠かった「原爆」の話を
「今にもつながる私の身近な人の話」にしてくれました。
今回の長崎訪問中、森喜代子さんが当時働いていたというトンネル工場を訪れる機会がありました。
レポートでは何度も読んでいるトンネル工場。
実物を見るとやはり違います。
ここに当時私と同い年くらいだった森さんがいたのか。
そう思うと時の流れがリアルに感じられ、
「歴史」の中にしかなかった、「戦時中の生活」が
急につい最近のことだったかのように思えてきました。
戦争のことを想像するのは戦争を体験したことの無い世代には難しいことなのかもしれない。
でも語ってくれる人との人間関係をまず大切にすることから始めたとき、
また新たなアプローチがあるような気がしてきます。
そんな出会いを今後も「ヒバクシャ地球一周」では船旅を通して提供していきたいと思います。
(文責:畠山澄子)
以下は森さんのレポートです。
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平成21年7月10日
住吉トンネル工場
7月4日畠山澄子さんが突然来訪、
下船後もナガサキで二度ほどお会いする機会があったのですが、
今回はプライベートな時間を無理に作って下さってのナガサキなので前日から胸わくわくの心地でした。
ナガサキ駅かもめ広場で無事合流、吉田氏、井黒さん、私と些か少人数でしたが。
澄子さんのメガネにはちょっと驚き、しかし船上でのあの愛らしい笑顔に接した時は、
今ここはモナリザ号の中と錯覚しそうでした。
私はナガサキには70有余年生活しておりますが電車路線範囲内の行動しか分かりません。
ましてアミュプラザの中は時々ユナイテッドの映画鑑賞くらいで、
おしゃれな各階はエスカレーターでキョロキョロ、まるでお上りさんそのもの、
吉田氏の案内で初めてビビンバなる食事を味わいました。
食べ方もわからず澄子さんは英会話とは程遠いビビンバの食し方を教えるとは夢にも思わなかったでしょう。
お焦げが美味しくモナリザレストランの食事のことなど話題豊富。
それからチンチン電車で赤迫まで。
レポート写真では何回も澄子さん宛てに提出していたのですが、
私の念願は実物そのものを見て頂きたかったのです。
来年3月完成頃は彼女はイギリス、英国の大学に在学で日本不在ですから、
現在工事進行中の現場をその目で見て頂くのが急務でした。
はじめ赤迫トンネルを、そこから歩いて住吉トンネルまで。
土曜日なので工事中で入れるかどうか、
私1人のときは前述のように叱られていたのですが、
吉田氏が何か警備員、作業員に挨拶されますと、
なんと私ども4名を囲いの中のトンネルの入り口まで案内されたのです。
さすがおりづる吉田氏、ここで拍手。
皆さん初めての見学で大いにシャッターの響きこだまして、
私も澄子さんを中心に並び被写体になりました。
皆さんどんな感想をお持ちになったか知りませんが、
私としては帰国前後からの自分に課せられた使命と思っているので、
こうして4名で見学できたのは何よりの達成感少なからず、喜びでした。
そして美術館へタクシーで。ちょうど影絵日展など開催されていたので皆それぞれに鑑賞、
吉田氏は体調芳しくなく途中で帰宅され、また夕方合流しましたが、
氏には非常にご迷惑をおかけしたのではと思いますが、
まず、この出会いは吉田氏無くしては実現できなかったでしょう。改めて感謝いたします。
彼女は美術館の2Fから展望するナガサキ港、水辺の森公園をカメラに納めていましたが、
好奇心、探究心の強い彼女の一面はさすがピースボートCCの面目躍如と言ったところでしょう。
時間がないのでタクシーで鳴滝へ、シーボルト記念館に着く。
近くに住みながら私もあまり訪館したこと無く、シーボルトにまつわるエピソード、手術道具など、
改めて彼の日本における医学への貢献を知りました。
竹林鬱蒼たる庭園、シーボルト博士の胸像(これは昔から戦時中も供出されなかった存在です)
地図で見ますと有名な出島からこの田舎の鳴滝郷まで駕籠で来たのでしょうか。
自賛する訳ではないのですが、この鳴滝はナガサキ市民の憧れの街であり住所を名乗ると皆さん、
ほーっとため息をつかれる在所です。
次男のボルボで鍋冠山へ夕日見物、ここは私は一度も来たことがありません。
次男曰く「澄子さんのために案内したのであってオフクロひとりだと絶対に連れてこない」とはきついジョーク、
本音かな?彼女の郷里埼玉は関東平野の真ん中なのでナガサキの山また山ドライブは如何でしたか?
夕食には次男も合流して本当に和気あいあい。
なにはともあれ限られた時間と少人数でしたが充実した密度濃い一日でした。
夜来の雨も上がりそよ風吹く絶好の天気はまさに澄子日和と名付けました。
私もトンネル調査にはサポートなしの孤立無援ですが、
澄子さんがイギリスからの応援を約束してくれましたので、レポートを書く張合いも出来ました。
ありがとう澄子さん、行ってらっしゃい。お元気で。
また絶対に会いましょうね。今後ともよろしくお願いします。
(文責:森喜代子)
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