モンテゴベイ(ジャマイカ)から2名のゲストが乗船しました。米国・ニューヨーク在住の軍縮教育家、キャスリン・サリバンさんと、カリフォルニア州在住の笹森恵子(ささもり・しげこ)さんです。
左から笹森恵子さん・川崎哲ピースボート共同代表・キャスリンサリバンさん
キャスリンさんは、過去にも水先案内人として何度も乗船してくださっている、ピースボートの大事なサポーターです。キャスリンさんが行う講義というよりも参加型のワークショップは実にパワフル!五官を用いて感じ、考え、伝え合い、聴きあう活動の中で、核の恐ろしさや、核軍縮・廃絶という課題を、わたしたちのとても近くに引き付けて考えさせてくれるのです。また、おりづるプロジェクトを第1回から応援してくださっており、ピースボートで制作したドキュメンタリー映画「フラッシュ・オブ・ホープ」にも出演してくださっています。
キャスリンさんご自身が過去10年関わっておられるのが、ヒバクシャをアメリカに招待し、被爆証言をアメリカ人学生達に直接伝えることです。「ヒバクシャ・ストーリーズ」というNGO団体の主宰者として、2010年5月の1ヶ月で招待したヒバクシャはなんと10人、そして訪れた学校は25校にものぼり、精力的に活動をされています。今回、ピースボートからNPT再検討会議参加のためニューヨークを訪れた2人のヒバクシャ、塚本美知子さんと盆子原國彦さんも、この「ヒバクシャ・ストーリーズ」に参加し、ニューヨークの高校で被爆証言と平和交流を行いました(過去記事参照)。今回の乗船では、ヒバクシャのメッセージを継承するには、誰に、どのように伝えてゆくのか、という課題に向き合う手助けをしてくださいます。
そしてもう一人の笹森恵子さんは、今回初乗船です。笹森さんは13歳の時に広島で被爆し、1953年にノーマン・カズンズ氏の呼びかけに応えたアメリカの市民達の招きで渡米しました。原爆でひどい火傷や怪我を負った10・20代の女性達19人と共に、機能的整形手術を受けるためです。彼女らは当時「ヒロシマ・メイデンズ(広島の乙女たち)」「原爆乙女」と呼ばれました。笹森さんは困難な皮膚移植の繰り返しを経て退院し一度は日本に帰国しましたが、看護の仕事を志し1958年にカズンズ氏の養女として再度渡米、以後50年以上もアメリカで生活されています。その間、仕事や育児をしながらアメリカ全土で英語による証言活動を行ってこられました。
(小松真理子)
この記事へのコメントはありません。