1.ヒバクシャ証言の航海

特集 : 被爆者田邉さん

田邉俊三郎さん : 「被爆者にも(果たす)責任がある」

ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海-T-A
田邉俊三郎さんは、今でも太陽が爆発した日の悪夢を見る。現在84歳になる田邉さんは、1945年8月6日のことを鮮明に覚えている。「おじいちゃん」として親しまれる田邉さんは、第67回ピースボート地球一周の船旅に参加する被爆者の中で最年長であり、この船旅では、広島での被爆体験の証言活動をしている。

1945年、おじいちゃんはごく普通で健康的な20歳の学生であった。学校は戦争により中断となり、8月6日の朝は友人と工場にいた。第二次世界大戦が続くにつれて、当時、多くの日本人の若者と同じように、おじいちゃんは米軍戦闘機B-29や、警戒警報、爆撃が日常茶飯事になるような生活を送っていた。8月6日の朝、飛行機が上空を飛行していた際も、いつものように爆撃や避難活動が続くのだと思っていた。

「リトル・ボーイ」と呼ばれる原子爆弾が広島の上空に投下されたのは、ちょうど朝8時過ぎのことだった。爆心地から2kmのところにいたおじいちゃんは、目のくらむような白い閃光と猛烈な熱線があったのを覚えている。そして、閃光の直後には突風が走った。巨大な灰色の雲が上空に広がっていく。通常だったらその後に伴う連続的爆撃に備えたが、その時は一切何もなかった。その時は、原子爆弾やその後味わうこととなる原爆の恐ろしさをおじいちゃんは知る由もなかったのだ。

顔にひどい火傷を負う中、自分の火傷よりも友人である斉藤の叫び声が気になった。斉藤は爆風により吹き飛ばされ、瓦礫の下敷きになっていた。彼は血と埃にまみれ、赤黒くなっていた。この時、友人をつかみ出すのにどれだけ難しかったか、おじいちゃんは語る。友人の皮膚は垂れ下がり、簡単に剥がれてしまったのである。友人斉藤の負傷は、原爆後におじいちゃんが直面する苦悩の始まりにしか過ぎなかったのだ。
(写真:田邉さんは、広島の被爆証言を共有することによって人類への責任を果たしていると信じている。)

ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海-T-B
工場の外は至る所が燃えていた。友人を抱え、おじいちゃんは助けを求めて道を歩いた。すると、水を求めて列を作る人々に出会った。彼らも同様、爆風によってやけどを負っていた。そして、焼けただれた皮膚を垂らして手を前に伸ばして歩いていた。その姿はまるで幽霊のようだったとおじいちゃんは語る。水を見つけたおじいちゃんは、すぐさま水を分け与えた。やけどを負った被害者に水を与えるのは危険だという注意をなんとなく覚えてはいたが、それが頭に浮かんだ時には既に最初に水を飲ませた男性は死んでいた。

おじいちゃんはできる限り多くの人を助けるようにしたが、彼が目にした光景はあまりにもすさまじかった。触っただけで頭が灰に化した赤ちゃん、怪我によって肺が体からむきだしになった男性、頭皮が剥がれ落ちた女性、目や舌が飛び出した死体…。これらは、おじいちゃんが広島の町を歩き目の当りにした惨劇の一部にしか過ぎなかった。無我夢中で水を求めて川へ入り、溺れ死んだ人々の死体を太田川のほとりで目にした時には、もう感情が麻痺していたとおじいちゃんは語る。

その日の晩帰宅したおじいちゃんは、自分の家が無事であることを確認して安心した。比較的軽い怪我を顔に負ったが、皮膚が治り広島の街が復興する頃には全てが普通に戻ると思っていた。しかし、新規の職のために6年後に受けた健康診断では、白血球の数が異常に低いことが判明した。医者は白血病の恐れを懸念し、おじいちゃんは1ヶ月間入院することになった。また、腸癌、肝臓障害、そして生涯に渡る合併症、注射、投薬治療などに見舞われることになる。さらに、放射線の被害はおじいちゃんが家族を持つことに対する希望にも影響を及ぼすことになった。
(写真:田邉さん自身が目撃した原爆後の広島の惨状を絵にして、体験を伝える。)

ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海-T-C
おじいちゃんは、耳を傾けてくれる人となら誰でも自身の体験を共有してくれる。あまりにも悲惨な記憶を呼び起こすことに対する心の準備ができているか尋ねられると、原子爆弾のような兵器が与える直接的・継続的影響を世界が絶対に忘れないようにする責任が自分にはあるとおじいちゃんは語る。おじいちゃんの鮮明な当時の広島被爆体験の記憶は、第67回ピースボート「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」プロジェクトや核なき世界を求める動きを強く後押しする貴重な存在になっている。

おじいちゃんは、自分の体験を若者へ伝えることに特に関心を持っている。若者たちの世代には核兵器が使用されたことがないため、核兵器の存在や拡散の恐ろしさが過小評価される危険性があることを懸念している。おじいちゃんは、自身の体験を伝えることが、核兵器反対や核に手を染めないよう、各政府に要求する一般市民の行動のきっかけになることを望んでいる。
(写真:原爆被害の結果発症した病気の治療を受け続ける田邉さん。写真は第67回地球一周の船旅(3ヶ月)に必要な薬の量。)

「67回ピースボート、クルーズレポート(シメルナ・ブレイク著)より翻訳」

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