1.ヒバクシャ証言の航海

【寄港地報告】クロアチア(ドブロブニク) ― 橋を架け、希望を取り戻す

おとぎ話のような風景を持つ街、ドブロブニク。切り石作りの建物に細い路地、魅力的な海に雲に届く山は、ロマンスと幻想を生み出す完璧な背景となって存在している。今日、地中海において人気観光地となっているドブロブニクだが、その美しさと魅力の裏には、そう遠くない辛く苦しい過去が隠れている。

18年前、クロアチアにおいて、クロアチア人とセルビア人の間で残酷な紛争が勃発した。そして1991年、クロアチアとボスニアの紛争地域から暴力から逃れるため、難民たちがドブロブニクに避難し始めてきた。3万人近い難民達がドブロブニクの地方行政府によって用意されたホテルに詰めかけた。しかし、食料と避難所があったにも関わらず、女性達は将来に対して絶望を感じていた。DESAが結成されたことは、この困難な状況において必然であったと言えるだろう。

ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海-D-A

DESAセンターから見たドブロブニク旧市街。毎年何千もの観光客がこの街の小道や広場を散策する。

この非政府、人道主義的、平和構築団体は、強制移住を強いられた女性達の再自立を、職業訓練を通して助けるために1993年に組織された。DESAがもたらした地域共同体精神が、女性達が戦争のトラウマから精神的に回復することの大きな助けともなっていることはすぐにはっきりと見て取れた。

第67回地球一周の船旅において、被爆者(日本の原爆被害の生存者)、チュービンゲン大学の国際学生、そして関心を持ったピースボート乗船者たちがDESAセンターにて時間を過ごした。ドブロブニクの歴史的旧市街のすぐ近くにあるこのセンターは250人いるDESAのメンバーの集会所であり、職業訓練所となっている。当初、センターにおいて女性達は伝統的な織物や裁縫、縫い物やキャンディー作りを学んでいた。現在DESAでは更に無料の言語コースやコンピューターの研修を行っている。
ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海-D-B

DESAの取締役補佐アナ・ツブイェトゥコビッチさんが、刺繍ワークショップに於いて、夢中になって針と糸を使い縫っているピースボート参加者に、指導している。アナと彼女の家族は、クロアチアのコナフレ地区から紛争中にドブロブニクに避難してきた。

女性に焦点を当てた質問をされると、DESAのプロジェクトアシスタントであるセイカ・リモヴさんは、女性と子どもが戦時下において最も被害を受けやすいと語った。そして、「女性は家族の柱であり、女性を助けることは家族全体を助けることになる」と続けた。DESAのプログラムには、男性も歓迎され、参加してきた。1997年から2003年において、1784人がDESAによって企画された教育プログラムやワークショップに参加し、そのうちの85%が女性であった。現在では毎年400を超える仕事の無い男女がプログラムに参加している。ピースボートはDESAと長年にわたる関係があり、1998年にピースボートから提供された23台のミシンは現在でもセンターにて使用されている。

戦争による軍事的交戦が終わった後でさえ、ドブロブニクの人々は心の傷に苦しんでいる、とリモヴさんは語った。退役軍人に対してのサポートシステムは実施されたが、心的外傷後ストレスに苦しむ一般市民への、しっかりした支援は何も行われなかった。特に、強制移住させられた女性達は自分を無用だと感じ、かつ社会から離脱してしまったと感じていた。DESAは雇用の確保、もしくは自分でビジネスを始めることに繋がる職業訓練を行うとともに、これらの女性達に社会生活に順応し、それぞれの思いを交換する機会を与えたのである。
ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海-D-C

ファティマ・イミッチさんはDESAの織物講師だ。この写真は、彼女がピースボット参加者、富江清子さんが機を織るのを助けている光景である。イミッチさんはボスニアからの難民であり、帰る家がない。彼女は現在DESAを通じた手工芸品の販売で生計を立てている。

ドブロブニクとその近隣の地域にて紛争後の復興が進むにつれ、難民の流入が途絶え、DESAは活動を広げることができた。
今では、DESAは教育プログラムやキャンペーンを通じ、地域社会の要求に答えられるよう努力している。DESAは現在、隣国のモンテネグロやボスニアの女性組合と協力しながら、この地域での持続的な観光業の発展に奮闘中だ。このプロジェクトは国々を結ぶ架け橋となり、紛争の和解と解決に多大な役割を果たしている。
被爆者の大野允子さんは、DESAの地域の女性への貢献に、自身と重なるものを見つけた。彼女は作家であり、その作品で広島と長崎での原爆の投下、及びその回復期における女性や子どもの話を描いている。DESAの会合の場において、ある母親の原爆によりひどく容姿の変わってしまった娘への不動の愛について語った。そして、命を与える者として、女性は命を奪う者に対して、打ち勝つことができる。彼女はDESAに所属する女性たちに、二度と戦争をおこさせないという彼女らの固い意志を貫き通すことを強く求めた。

ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海-D-D

被爆者である大野允子さんはDESAに所属する女性達の苦痛がわかるという。広島と長崎での原爆投下による人々や家族の苦難の経験はDESAの女性達に感銘を与えた。大野さんの話を熱心に聞いているのはDESAプロジェクトアシスタント、セイカ・リモフさんである。(写真左から2番目)

「67回ピースボート、クルーズレポート(シメルナ・ブレイク著)より翻訳」

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