1.ヒバクシャ証言の航海

グダンスク:つながりが社会を変える

ポーランドは、第2次世界大戦以降約45年にわたりソビエト連邦の強い影響をうけた社会主義国家であったという歴史を持っています。この社会体制は、しかし一般市民の劇的な「連帯」抵抗運動によって揺らがされました。市民が勝ち取った1989年の初の民主的選挙、そして民主主義政権の設立と、そこから波及した東欧諸国の民主化への流れは、まさに連帯と闘争の記録です。ヒバクシャ一行の中にも、青春時代、遠いポーランドの市民運動を組合運動を通してリアルタイムで支援をしていたメンバーがいます。

6月3日(木)、グダンスク到着第一弾の訪問地は「連帯博物館」。地下の空間に当時の市民生活の様子と、ワレサ議長や円卓会議に象徴される抵抗の歴史が展示されています。壁に映し出されるデモやバリケードの様子を、中谷悦子さんと田中健二さんはじめ皆さん感慨深く見入っていました。続いて1971年ストライキ、そしてこの「連帯」活動の原点となったグダンスク造船所(当時の通称:レーニン造船所)を廻り、連帯の記念碑も訪れました。

グダンスクはポーランドで古くから港町として栄えた美しい街です。しかし1939年、ナチス・ドイツ軍の急襲を受け、第2次世界大戦の始まりの地となりました。美しい街並みは完全に破壊されました。しかし戦後すぐに、市民は戦前と同じような再建を目指したのです。決して財政的にも精神的にもゆとりがなかっただろう時期に、このような取り組みがされた成果が、美しいダウンタウンの風景として多くの人々を惹きつけています。

そのグダンスク市が現在、第2次世界大戦の戦争被害を集約し、戦没者を追悼する戦争博物館の建設をすすめています。今回ヒバクシャ一行がグダンスクを訪れた理由のひとつが、この戦争博物館に展示される千羽鶴を手渡すことでした。日本も第2次世界大戦中、80万人ともいわれる犠牲者を出しながら、同時にアジア諸国への加害の歴史を持っています。長い世界大戦の皮切りの舞台となったこのグダンスクの地が、このような博物館を造り上げるイニシアチブをとることに、敬意を表しての訪問です。

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取材で「おりづる折れますか?」の声に応えて

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この千羽鶴はこれから建設の「戦争博物館」に飾られます

訪問日はカトリックの祭日で国の90%がお休みのところ、グダンスク市長が歓迎の会を設けてくださいました。会にはピースボートから約50名の参加者が、街中心部にある会場、格式高いアルトゥスの館に合流。多くのメディアも詰めかけました。式では、市長さんと、天井からぶら下がる船模型の大砲の歓迎に続き、ヒバクシャの梶山恭良さんが代表して挨拶を述べました。日本自身の歴史を振り返り、人の尊厳を踏みにじる戦争や権力の悲惨さを訴え、ポーランドの連帯の歴史に学びながら核のない世界を共に実現しようと呼びかける言葉は、人々の心に深く沁み込み届いたと思います。

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歓迎の大砲が広間に鳴り響いた

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梶山さんの挨拶にたくさんの拍手が

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グダンスク市の暖かい歓迎に感動

(小松 真理子)

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