2008年_第1回ヒバクシャ地球一周(第63回ピースボート)

森喜代子さん*トンネルレポート

レポート*住吉トンネル工場

花冷えとはこの頃のことでしょうか。
ご無沙汰いたして申し訳ございません。

4月25日赤坂トンネルに行きますと入り口の地面に
年配の紳士が正座してひれ伏して居りました。
立たれたらお尋ねしたいと思っていましたが、
微動だにせず祈りを捧げているのでしょうか、私は静かに去りました。
トンネルに関わりある方と思われます。まだ戦争は終わっていないのですね。

住吉方はNO3トンネルは安全封鎖され上は道路となり車が走っています。
過去は悲しいものこの下にトンネルが埋まっているとは誰も知らないでしょう。
残る二基の前には石垣くらいの石が多く積まれ広く囲いがあります。
前の道路が工事中で作業小屋もそこに移されています。
トンネルには手がつけられていなくこの分では着工も遅くなるのでは、
土曜日なので作業員は不在、2週間後の金曜日に又参る予定です。
したがって写真もむなしく、変化があれば写します。
ご報告が余りありませんので申し訳ありません。
無論トンネル工事進行過程は観察していきますが
来る8月9日原爆投下前は本書を書かなくてはいけないので、
それまでは戦前戦中戦後の生々しい思い出を
出来るだけ詳しく書かせていただきますのでご笑覧くださいませ。

飢餓時代の話

あれは動員される前から県女2年の後半期だったのか
月月火水木金金のカレンダー時代、
国語の授業の浦川先生はリベラルな方、徒然草・田山花袋だったと思う。
「庭は10坪に満たず、隅にくちなしの花咲けりそれは主(あるじ)に似たり」
作者は無口な人だったのだろうと解釈,それから兼行法師の徒然草に入り
「徒然なるままに日ぐらし机に向かいて」云々、
後の文章は覚えていないが「もの言わずは腹ふくるる技なり」
これは言いたい事を言えないのは腹ふくれるような不快感がある。
まで解釈した先生はバタリと本を閉じ
「昔の人は幸せだったなあ!今はしゃべったりすると腹が減る、黙っていても腹が減る時代だ、
僕の弁当を見せようか」と開けられた中身はサツマイモ一切れでした。
「皆も同じようなものだろう。今日は食べたい物、食べた物、を思い切り言いなさい」
と前列右から促されるまま、キャラメル・ケーキ・卵焼き・肉・魚と順々に並べたて、
何回も繰り返して、さすがに品切れ、次は果物、リンゴ・バナナ・次は野菜、大根・ホウレン草と
何回目か後に私の番になると思い付かず「冬瓜」と言ってしまう。
先生はすかさず「トウガンとは贅沢だなあ、あれは鶏肉とかだしで味付けしてこそ美味しいのだ」と。
私は別に冬瓜が好きでもないが苦し紛れでした。
料理好きな先生はいろいろな料理の話に興味を示され
私たちは口に唾液が溜まるのを抑えることができません。
そのうち終業のベル、国語の時間は終わりました。忘れられない一時間でした。

人間、欲の中の筆頭は食ではないかと思います。それほど飢えていたのです。

非常食糧袋は空っぽ、煎り大豆はぼりぼりと食べつくし、配給も遅れがち、
しかしいくら飢えても食べられないのは海藻パンと名付けられた真黒な塊でこれは歯が立ちません。
あらゆるものは食べ尽し、今の飽食時代、好き嫌い、食べ残す若者たちにも腹立たしい気持ち、
それはモナリザ号レストランでも心痛しました。
少なくともおりづる員に見られる毎日は辛いものでした。
特に若いおりづる員には!!

食糧危機は目前と言われ現在は核廃絶の一端として生きる糧保有も
後進国を多数見聞した我々ピースボートおりづるの重大な使命と考えられる。

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