3月21日(月)、本船はトルコのクシャダスに寄港しました。ここから、イズミル市のエゲ大学に向かい、同大学で証言を行いました。そのときのレポートです。
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3月21日、トルコのクシャダスに寄港、一行はバスで約1時間、大学生との交流のためイズミル市に向かった。イズミル市はイスタンブール、首都アンカラに次いで三番目に人口の多い(300万人)大都市である。エゲ大学(学生数4万人)を訪問、国際関係学部副学部長のヒュルソイ博士の案内で学生約100人が待つ交流会場へ。
末永浩さんが被爆体験を語り、米軍の飛行機が撮影した被爆前後の長崎の写真を示して、現在の核兵器の破壊力は強大なので、一発の核兵器でイズミール市が「ヒロシマ・ナガサキ」になると訴えた。
学生からは、日本が将来核兵器を保有することはないのか、今回の地震と津波による原発事故について被爆者としてどう思うかなどの質問があった。これに対し、日本は非核三原則(核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない)があるので決して核保有国になることはない、また日本国憲法は第9条で戦争放棄を宣言していると説明した。
原発については、日本は石油、石炭などの天然資源が少ないので経済の発展のためにエネルギーを原発に依存してきたこと、政府は日本の原発はクリーンで安全だと主張してきたが、今回の事故で安全神話が崩壊したと答えた。これまでのヨーロッパの寄港地と同様に原発事故への関心の高さを感じさせるとともに、日本が原発から生じた余剰プルトニウムを数十トン(核兵器6千発分)も保有していることに対する懸念も伺わせた。
そのほか、日本の若者の核問題への関心についての質問もあった。これに対し、クシャダスからバスを乗り継いで大学の会場に駆けつけた「おりづるパートナー」の若者3人が、「日本でも広島、長崎以外の若者は核問題に関心が薄いかもしれないが、ピースボートに乗船した若者は、被爆者の体験を聞いたり学習会に参加して、核兵器の問題が自分たちの世代にも関係があることがわかったし、できることから行動したい」と答え、トルコの学生に大きな感動を与えた。
(長崎被爆者・田崎昇)
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