4月13日、72回クルーズ最後の寄港地マニラに寄港しました。そのレポートをお送りします。
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4月13日(水)フィリピンのマニラに寄港した。
折りしもこの日は「軍事費削減のための世界行動デー」翌日。「和平プロセス担当大統領顧問室」事務次官のルイ・モンタルボ氏を表敬訪問した。政府として、紛争解決・平和プロセスの機関を持つ国は少ない。モンタルボ氏は「フィリピン国内で長年続いている紛争の歴史を平和的に終わらせる努力をしている。自らの体験を通じて核兵器の廃絶を訴えておられる被爆者の姿勢に学びたい」と述べた。
これに対し被爆者を代表して壷井さんが、訪問受け入れを感謝するとともに、日本が第二次世界大戦中フィリピンに精神的、物質的に大きな被害を与えたことを謝罪すると挨拶。モンタルボ氏は「私の両親は80代で戦争を生き延びてきた。今皆さんから聞いた言葉を両親に伝えたい」と応えた。
また、フィリピンでも有数の伝統あるミリアムカレッジでは証言会を行った。平和教育を学んでいる高校生が約100人集まっていた。証言会に備えて原爆や核兵器に関する学習をしてきたとの事。田崎が、原爆の被害の概要をスライドを使って説明した。原爆投下の翌日に撮影された死体が散乱している爆心地付近の惨状、黒焦げの少年の写真などが映されると会場からは驚きの声が上がった。深堀さんは、16歳で被爆した時の状況や、その後の食べ物も薬もない厳しい生活について語り、またピースボートの船内活動で若者の平和への熱意に感動したことや、今後とも被爆体験を継承し平和のために努力する決意を述べた。
質疑応答とお礼の言葉のあと、ピースボートの受け入れをしてくださったフィリピンのNGOであるIID(国際対話のためのイニシアチブ)代表ガス・ミクラットさんから、「これまでピースボートや日本人から多くの支援をいただいてきた、今度は私たちがお返しをしたい」と地震被災者への寄付金と激励のメッセージがピースボートに贈られた。サプライズの申し出におりづるプロジェクト担当者の上泰歩は感激の余り思わず泪、絶句。それでも気を取り直し、ピースボートとフィリピンのNGOの長年の交流の実績に触れ、寄付金はピースボートのボランティアが被災地を直接訪れ、食料や水などの支援のために使わせていただくと、笑顔で謝意を伝えた。
(長崎被爆者・田崎昇)
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