1.ヒバクシャ証言の航海

フィデル・カストロ前議長とグローバル・ヒバクシャフォーラムで面会!

キューバ寄港日3月1日の午後はキューバ政府が主催する、グローバル・ヒバクシャフォーラムに出席しました。
    ピースボートのおりづるプロジェクト
フォーラム開始前、おりづる参加被爆者はすこし緊張した面持ち。
写真左から小川忠義さん、永島三歳さん、石川律子さん

前々から開催が予定されていたグローバル・ヒバクシャフォーラムでしたが、10名の被爆者が出席するということで急遽フィデル・カストロ前議長の出席が決まりました。ピースボートでは70回クルーズでもフィデル・カストロ氏の歓迎を受けておりその時も約700名の乗船者が招待を受けています。

今回もカストロ氏が出席するということで、75回クルーズの全乗船者が招待され、急遽ツアー行程などを変更してこのフォーラムに出席できるようにしました。そしてピースボートから740名が出席しました。
    ピースボートのおりづるプロジェクト
会場内はピースボートの一般参加者で埋め尽くされた

フォーラムには広島・長崎、タヒチ、チェルノブイリ、福島のヒバクシャに関係するパネリストがそれぞれ登壇し証言をしました。タヒチからは私たちがパペーテに寄港した際に交流した核実験被害者のための運動をしているモルロア・エ・タトゥの代表者、Roland Oldhamさんが来場されていました。私たちと交流した後に裁判のためにパリに行くとおっしゃっていましたが、パリから帰国し、キューバにおいでになったそうです。チェルノブイリについてはキューバの医師でチェルノブイリ原発事故の被害者の治療にあたっていたJulio M. Medina de Armasさんが、そして福島については福島大学教授の丹波史紀さんが証言・報告をされました。

おりづるプロジェクトからは広島で13歳の時に被爆した中村博さんが救護活動での経験やその後の放射能による健康被害の体験などを「人間と核は共存できない」という強いメッセージとともに語りました。そして最後には、75回クルーズおりづる被爆者全員の署名が入った声明文をカストロ氏に直接渡し、核廃絶に向けてリーダーシップをとっていただけるよう依頼しました。
    ピースボートのおりづるプロジェクト
大舞台で証言をする中村博さん

声明文の主な要求は以下4点です。
1.「中南米非核地帯」が先頭に立ちなお一層「非核地帯」を世界中に広げて下さい。
2.「平和市長会議」への参加を各都市へ呼びかけて下さい。
3.「核兵器禁止条約」を一刻も早く締結して下さい。
4.福島への国際的支援をしてください。

これはペルーからジャマイカまで水先案内人として乗船されていたアメリカの核軍縮教育家であるキャスリン・サリバンさんの提案で声明文製作にあたり様々な助言をいただきました。キャスリンさんはアメリカ国籍なので残念ながらキューバに入国することができず一足手前のジャマイカで下船されましたが、その想いはおりづる被爆者へ、そしてカストロ氏へと引き継がれました。
    ピースボートのおりづるプロジェクト
被爆者を代表して手紙を渡す中村さんとカストロ前議長

カストロ氏は中村さんの証言に大変感銘を受けており、「あなたの本は証言になっていますか?なっていないのであれば残さなければなりません。今はインターネットもあって世界がつながりやすいのだから、本にするなら私も協力します。」という言葉をいただき、ピースボートの共同代表、吉岡達也から「カストロ氏にここまで言われたら出さないわけにはいかない。グローバル・ヒバクシャという本を出したいと思います。」と返答しました。フォーラムに参加した多くの人が87歳とは思えないカストロ氏の力強い話し方と瞳の輝きが印象に残ったと言っていました。
    ピースボートのおりづるプロジェクト
最後には被爆者全員が登壇し集合写真を撮影した

フォーラム終了後にバスで通ったキューバの町は電灯などがあまりなく暗くて驚きました。経済封鎖を受けながらも他国への支援や協力に力を注ぐ社会主義国キューバ。非常に興味深い訪問でした。

(写真:加藤達也)
(文:坂口理香)

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