1.ヒバクシャ証言の航海

若年被爆者の小川さんが南インドのコーチンで初めて証言

4月19日、南インドの西岸に位置するコーチンに寄港しました。気温は30度を超える暑さで、おりづる被爆者のみなさんも汗を吹き出しながらのツアーとなりました。

午前中はコーチンの町中の観光をし、夕方に証言会会場へと向かいました。証言者は寄港地では初めて証言するおりづる被爆者最年少の小川忠義さんと、証言者としてはベテランの中村博さん。小川さんは被爆当時1歳ということでご自身の記憶がなく、また家族も詳細を語らなかったことからご自身の被爆当時の詳細は未だに分からないことが多いといいます。それでも証言をしようと思ったのは約1年前のこと。きっかけは原爆が投下された8月9日の11時02分に合わせて長崎の街の風景を撮った一枚の写真でした。写真に写っていたのは、人々が普段通り買い物をしており黙祷をする人が少ない商店街の風景。その写真をみたとき、原爆の惨劇が風化していると感じ、同時に恐怖感を覚えたと言います。原爆投下から67年目を迎える今年、小川さんはこのおりづるプロジェクトに参加することを決意しました。今回初めて証言をするに当たり、被爆当時の体験は語れないけれども、きちんと証言したいと知る限りのご自身の被爆状況と原爆投下の概要、非核へのメッセージなどをまとめて証言会に挑みました。
$    ピースボートのおりづるプロジェクト
緊張した面持ちの小川忠義さん(左から2番目)と中村博さん(左から3番目)

証言会は午後15:00過ぎに始まり、1時間程度行われました。証言会場に到着するとまずは眉間にオレンジと赤の粉で印をつけていただきました。これは「ビンディ」と呼ばれ、元々はシバ神の第三の目を表しているとの事。現在では、ひとつのファッションとしてつけている人が多いようです。
証言会が始まると行われたのは会議開催の際に行われる伝統儀式、ランプの点灯式でした。趣のある儀式におりづる被爆者の皆さんは感激したようでした。
小川さんの証言と中村さんの証言は順調に行われ、後に被爆者のみなさんからいただいたレポートにも「小川さんの証言はまとめられていてよかった」「中村さんの証言は非常に重要なもので、記録に残していく必要がある」などとのコメントが寄せられました。若年で記憶のない小川さんと大変な経験をされている中村さんという二人がペアとなって証言することは、聴衆の理解を深めたように思います。
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長崎の地図を見せながら証言をする小川さん

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しっかりと前を見据えてメッセージを伝える中村さん

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証言を真剣に聞くコーチンの市民ら

当時の記憶がはっきりしている被爆者が年々少なくなる中で、小川さんのような記憶のない被爆者が、高齢の被爆者の証言を聞き学ぶことは今、とても重要です。そんな中で行われた今回の証言会は小川さんの証言活動の第一歩としてとても意味のある会となりました。

今クルーズも残す港はあと二つ。最後もいい証言会ができるように皆さんとともにがんばります。
    ピースボートのおりづるプロジェクト
コーチン港にて集合写真を一枚

(おりづるプロジェクト担当 上泰歩)

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