2015年7月25日、第8回おりづるプロジェクトは105日間の証言の航海を終えて、無事に帰国しました。遅くなってしまいましたが、クルーズ中の寄港地プログラム報告をさせていただきます。
記録ドキュメンタリー映像:『I Was Her Age /過去と今の対話』
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2015年5月29日、北欧区間の始まりです。スウェーデンのストックホルムに到着しました。
ここでは、初めての試みとして2つのグループに分かれてプログラムを行いました。
最初のグループは、ダンダーリド高校での証言会とノーベル博物館見学でした。
体調不良な被爆者に代わって、急きょピンチヒッターで証言をすることになった森田さん。サポートとして、私、鈴木慧南が証言会に参加しました。実はこのコンビ、3回目の登場となります!
お互いにいろいろな意見を出しながら、毎回少しずつ証言内容を変えていけるようになったのも
一緒の証言会を何度も経験しているからだと実感しています。
今回は、ストックホルムの高校生へ向けての証言会でした。
ダンダーリド高校の生徒たち
全ての挨拶などを含めて1時間という非常に短い時間の中での証言でしたが、森田さんの伝えたかった思いは十分に伝わったと思います。森田さんは自分の書いた詩を日本語でゆっくりと読み上げました。その思いが通訳を通して日本語からスウェーデン語に変わり、現地の学生に染み渡っていきました。
ここでもその詩を紹介します。
「あの日が来るたびに」
あの日が来るたびに 胸を痛める思いがある
あの日、私と年の変わらぬ子どもたちが大人が、老人が、生き物が
一瞬に多くの命が消えた 8月9日の朝
私たちは絶体に忘れてはならない
今同じ地で生きる一人として私は言いたい
もう、あんな過ちや悲しみを繰り返さないように
繰り返さないために、今私たちはここにいるのだと
私たちは訴え続けなければならない
あの夏の暑い日に消えていった 多くの命の叫びを
平和であることのありがたさを そして尊さを
それが、今を生きる私たちができる唯一のことだと思うから
(※この詩がもとになって、「ながさきの唄」がユース非核特使の岩本さんによって作られました。そちらもインターネット上で鑑賞することができます。)
詩の朗読を終えた森田さん
今までさまざまな寄港地を経験してきましたが、今日の高校生たちは特に真剣に話を聞いてくれた印象を受けました。
残念ながら時間の関係で、質疑応答の時間が取れなかったのですが、生徒たちから質問を集めて、船の上から答えていきたいと思っています。
その後は、ノーベル博物館に行って見学をしました。普段は遠い存在であるノーベル賞のことが、実際に知れたことに感激しています。
実際にノーベルが亡くなる1年前に残した遺書の原本やノーベル平和賞のメダルや賞状などが展示されていました。
なんと、ノーベル賞の賞状はアーティストが毎年デザインするらしく、決まった形はないそうです。
そんなストックホルムの世界的なイベントにも触れあえた、充実した1日となりました!
2つめのグループは外務省で軍縮担当者に面会後、ディダクトゥス・リルイェホメン高校での証言会でした。
当日まで、スウェーデンの外務大臣に面会予定でしたが、当日インフルエンザの大臣に代わって、軍縮担当者と面会することができました。
後列左から3人目が軍縮担当のマティアス・オッターステッド氏
2年前から始まった核の非人道性を問う国際会議が今までに3回開催されていますが、その直近の会議で提出された「オーストリアの誓約」に賛同し核廃絶への具体的な一歩を進めてもらうことを、被爆者の鎌田弘恵さんから要請しました。広島を家族とともに訪れたことがあるという担当者からは、面会した被爆者とユースの一人一人に経験と思いを尋ね、「みなさんの訴えを直接伺い、改めて核廃絶への思いを強くしました。」とのコメントをもらいました。
核兵器をなくす政策において、世界をリードしてきたスウェーデン。そのスウェーデンさえも「オーストリアの誓約」に賛同していないというのは本当に大きな懸念です。だからこそ、日本から1ヵ月半をかけて被爆者がこの地を訪ねて訴えたことに真摯に耳を傾けてくれたのだと思います。
この後、グループ2はディダクトゥス・リルイェホメン高校で証言会を開きました。この高校は、ストックホルム市の中でも中心地から30分くらい車を走らせてところにあり、生徒の肌の色もさまざま、宗教もさまざま、外国からの留学生もいました。
少し荒れたイメージの校舎を歩きながら
『果たしてこの子たちが証言を聞いてくれるのだろうか?』
と、一同ドキドキしながら証言会場の教室に着きました。
ここではユースの橋本が高校生に質問を投げかけるなど、対話形式で原爆について説明を加え、鎌田弘恵さんからは長期にわたる放射能の影響を説明しました。
ディダクトゥス・リルイェホメン高校の生徒たち
予想を超えて80人くらいのたくさんの生徒が狭い教室にぎっしり座り、スウェーデン語と英語での証言を真剣に聞いてくれました。
大丈夫かな?と、少しの不安とともに始まった証言会でしたが、学生たちのノリがよく、良い雰囲気の中、証言会を行うことができました。
その後の質疑応答では、
・日本人はアメリカについてどう思うのか?
・原爆投下後、どのくらいで学校に行けるようになったのか?
・今のヒロシマの人と、街はどんな感じなのか?
・いま、当時を振り返るか?
など、たくさんの質問が出ました。
最初はちゃんと聞いてくれるのか、という不安から始まりましたが
1時間ほどの証言会を学生たちがしっかりと聞いてくれて、涙を浮かべる生徒も少なくありませんでした。
気になって、コーディネートしてくれた先生に「どうでしたか?ちゃんと生徒たちに伝わりましたか?」と聞いてみると、「いやー、感動的な話を聞くことができたよ。生徒たちもそう感じていると思うよ。その証拠に、こんなに静かに人の話を聴いている彼らをみたことないから。」と笑っていました。
ディダクトゥス・リルイェホメン高校の先生と生徒たちと
このスウェーデンでは、雰囲気の違う2つの高校で話を聞いてもらいました。そして、外務省に直接要請もできました。北欧のスウェーデンから、具体的な動きが始まるきっかけとなったことを心から願って船に戻りました。
ノーベル博物館前にて (前列左端が通訳をしてくださったレーナ・リンダルさん)
(文・おりづるユース 鈴木慧南、橋本昭博、スタッフ 渡辺里香 / 写真・鈴木慧南、エマ・バゴット)
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