みなさんこんにちは。
ピースボートインターンの鈴木慧南です。
5月13日、イタリアのカリアリで証言会を行ってきましたのでその報告をします。
カリアリは本土から離れた離島です。
サルデーニャ自治州の州都で、美しい海に面した港町です。
日本でいう沖縄をイメージしていただければ分かりやすいかもしれません。
私たちが訪れた5月13日は、サルデーニャ自治州の方々にとって大切な日でした。
1943年の5月13日、大規模な空襲によって多くの人々が亡くなったのです。
私たちがお会いした方々のなかにも、身内や友達をその空襲で亡くした人々がいました。
また、サルデーニャ島にはイタリア軍の60%の基地が集中しており、南部には多くの軍事施設があります。
近年ではいくつかの演習場を市民に返すことになったそうですが、政府は全く動こうとはしていないようです。
加えて、劣化ウラン弾の被害や核廃棄物の処理工場の建設候補地などになっていることから、地元の方の平和運動はとても活発です。
離島だからこそかもしれませんが、地元を、この島を愛している人たちの想いが強く伝わってきました。
船を降りてからすぐに近くの教会に向かうと、大勢の地元平和団体の方が歓迎してくれました。伝統的な音楽と色とりどりの旗などで出迎えてくれ、異国の地の歓迎に被爆者の方も感動していました。
言葉も通じないけれど被爆者の方と抱き合っている姿に、「遠いカリアリにようこそ」と言われているようでした。
その後、船舶専門の高校へ赴き、被爆二世で広島出身の山村法恵さんが証言を行いました。山村さんは自身のご両親の体験を分かりやすく丁寧に話し、ときには涙を浮かべながら被爆者の想いを伝えました。わりと小さな部屋に100名以上の学生が集まっており、座る場所もないほどでしたが、初めて出会う被爆者の話を熱心に聞いてくれました。
山村さんの証言の様子
質疑応答の際には「日本は真珠湾攻撃をしているから原爆が落とされたのでは?」という答えにくい質問に、長崎出身の三瀬さんは自分なりの言葉を繋いで、「被害だけを訴えるつもりはないし、真珠湾で苦しい思いをした人も知っています。それでも僕たちも苦しい思いをしました。その苦しみはきっと一緒だと思います。」と話していました。
続いて、地元の劇場に場所を移し、サルデーニャ島の上院議員や州政府の関係者の方との会合を行いました。ここでは長崎で被爆した三瀬清一朗さんが、イタリアも核兵器禁止条約の交渉会議に出席して欲しいと強く訴えました。上院議員の方々からは、「サルデーニャ島としても核兵器は廃絶したいです。ここから政府にも声を届けるように努力します。」と力強いお言葉をいただき、出席してくださったほぼ全員からヒバクシャ国際署名を頂けました。
署名に賛同してくださったGian Piero Scanu代議士
(劣化ウランに関する議会調査委員会委員長)
その後、同じ会場で一般の方向けの証言会を行いました。
ここでは広島で被爆した土田和美さんが証言を行いました。
会が始まる前にお昼のTVで「カリアリに被爆者が来る」ということが大々的にニュース報道されており、会場に座り切れないほどの人々が聞きにきてくれました。
土田さんは最初に空襲で亡くなった方、原爆で亡くなった方のために黙祷し、静かに被爆証言を始めました。いつもにこにこしている彼女からは想像できないほど、緊張していたのでしょう。証言をするときに握っていたマイクはずっと震えていました。
その姿に私自身も、今よりももっと伝える努力をしていかなければいけないと強く感じました。
カリアリでは本当に多くの方々に温かい歓迎を受けました。
イタリアの、しかもカリアリを選んでくれたことにとても感激いただいたようです。
たくさんの平和団体の方々とも連帯をして、日本政府を動かせるように、これからも世界を巡って証言をしていきます。
ピースボートインターン 鈴木慧南
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