皆さん、こんにちは。
ピースボートの野口香澄です。
8月7日はアメリカのシアトルに寄港をしました。
その時の様子をお伝えします。
シアトルでは、73年前長崎の原爆で使われた核物質プルトニウムを精製していた原子炉の訪問をしました。
そこはエネルギー省の職員の方と国立公園の職員の方々が運営している場所でした。
シアトルから出発し約3時間もの移動でその場所には着きます。
そこに到着するまでの間山々を超えていきます。
車を走らせている間、木々などの緑や湖に囲まれており、空気がとてもきれいな場所に行きます。
しかし、到着した場所は辺り一面建物などなく、ただ広い原っぱだけが広がっていました。
ただ広い原っぱだけのところに2つの原子炉がありました。
B原子炉とC原子炉です。
B原子炉は一部一般公開しており、そこに今回見学に行きました。
C原子炉は一般公開していませんが、周りは白い建物で覆われていました。
今回訪れたところは世界で初めての原子炉でした。
1943年の9月に建設が開始され、1944年の10月に完成した場所だそうです。
そして1968年に廃炉になるまでの間動いていきました。
2000年まで国の監視下にあり、2008年に国立指定のエンジニア遺産というものになったそうです。
まず最初に職員の方から、どのようにプルトニウムが抽出されていたのかという話を受けました。
また公開されている場所の案内をもしてもらいました。
ここで職員の方が言っていた話の中に安全という言葉は出ないものの、「放射能の線量は少ないです。」という言葉が何回かありました。
私たちは被爆者の体験や福島の原発事故の中で放射能に対してのいかなる量の線量でも“安全”ということはないということは知っている中で職員の方々のいう一言一言に少し疑問を抱くものになりました。
長崎の被爆者である倉守照美さんが被爆証言を行いました。
博物館の職員の12名に向けた証言会なので、職員の皆さんの反応は気になるところでした。
倉守さん自身は8月9日の話だけではなく、その後の話も行いました。
放射能の影響で家族を亡くした悲しみを証言の中に入れています。
倉守さんの話を真剣に聞いている職員の方々の表情はとても複雑そうなものでした。
国立公園の職員の方々にとって長崎に原爆が落とされた話は聞いたことがあるようでした。しかし、直接被爆者から話を聞くというのは初めての体験。
倉守さんもどのような反応が来るのかそして、職員の方々も何を言われるのかとお互いに緊張した雰囲気でした。
証言会終了後、質疑応答の時間がありました。
質問の量は多くないものの、職員の方々は言葉を選ぶかのように質問が出ました。
今回の倉守さんの証言を聞いたことで、これからこの国立公園の博物館内の展示はどのようなことを取り入れたらよいのか、日本ではアメリカが原爆を落とした理由をどのように伝わっているのか、放射能での被害についてといった質問が出てきました。
次にハンフォードの風下住民(ダウンウィンダーズ)のトム・ベイリーさんにお会いしました。
トムさんが住んでいるオセロの街はワシントンで一番バカな街と言われているといいます。お会いして初めてそれを言われたので驚いて聞いてみると、放射能に汚染された被害にあった街だからそうです。
1940年頃に軍事のために元々いた住民たちの土地を奪い出来ました。それ以降その街は軍人が住むようになり、そこで、今日訪れてたB原子炉で原爆を作るためのプルトニウムが精製されていました。
そこから流れてくる放射能が風に乗りトムさんが住んでいた場所までやってきました。
風に乗った放射能は人が呼吸するために人体に入り込むだけでなく、草や野菜、また草を食べた牛の牛乳などからも汚染されました。
それを食べた人間の人体が汚染され、そこに住んでいた一体の住民はみな、癌に侵されたといいます。
動物たちも奇形で生まれたり、妊娠しても流産してしまったりしていきました。
トムさん自身も幼い頃、ポリオにかかり、身体に麻痺が残りました。
今回も手には震えが残っていました。
トムさんはその放射能の被害に対して、アメリカ政府は謝罪はしたが、大きくメディアに報じられることがなかったことがなかったことが残念であったと話をしています。
そして、被爆者同様に起きた出来事を1人でも多くの人たちに伝えていきたいと話をしてくれました。
今回訪れた人々は両極端な体験を持つ方々でした。
B原子炉の職員の方々は放射能の影響もそれに対して様々な意見を持つことをわかっていて、観光のために案内をしています。そして、風下住民のトムさんは放射能の影響と風化させないために被害を語り継いでいます。
この2つの体験から私たちは核のない世界を目指すためには市民の協力が絶対だと思っています。その市民の意識を伝えるためには伝えていくこと、継承をしていくことをしていかなければならないと思いました。