みなさまこんにちは、おりづるユースの安藤真子です。
9月26日の核廃絶デー以降、寄港地での活動報告ばかりでしたが、今回は久々の船内での活動報告です。
10月20日には「『平和都市』ひろしまの地面の下」という企画を行いました。
8月6日の出来事や普段の被爆証言だけではどうしても拾いきれない、8月6日以前と以後の広島にスポットライトを当てた企画です。ユースの私と被爆者である美知子さんが話しました。
よく、平和公園は原爆投下前から公園だったと思っていたという声を聞きます。しかし実際には中島町という街があり、広島一の繁華街がそこにはあったということはなかなか表立って語られません。どうしても、8月6日に起こった出来事が悲惨すぎるからです。
旅館や喫茶店、写真屋や映画館。想像するだけで、そこをうきうきしながら歩いてみたいと思わせられます。そんな広島の小さな浅草と呼ばれた街は一瞬にして死の街となり、その後の平和公園建設で盛り土がされました。そのときに拾いきれなかった瓦礫や遺骨はそのまま残したまま、その上に今の平和公園を作りました。今の平和公園を歩くことは、お墓の上を歩くことだと多くの被爆者は言います。
また、原爆投下後の広島には両親を原爆で亡くした原爆孤児が多くいたことも忘れてはならないことです。彼らは駅前で靴磨きをしたり、なかにはやくざの仲間になった者もいたと美知子さんが語ってくれました。そして彼らに対するなんの保障もないことに対する怒りを話してくれました。美知子さん自身、「もし母親も原爆で亡くなっていたら自分も孤児になっていた」と話してくれました。
原爆ドームが保存に至るまでの経緯や市民それぞれの想い、そしていまの「きれい」な広島の街に対する違和感も話し、「広島の街をあるくということが何を意味するのか考えてほしい」としめくくりました。
この企画を聞きにきてくれた方々が広島に来る際、すこしでも「平和都市」ひろしまの地面の下にあるものを感じてくれたらと思います。
そして10月21日は自主企画の中間発表会「光のカーテンshow」がありました。そこでわたしたちはおりづるパートナーと「ピースボート平和合唱団」を結成し「青い空は」と「にんげんをかえせ」の2曲を披露しました。
また、常設展示の部では9月26日に向けて制作したおりづるアートを展示しました。
ヨーロッパ区間では寄港地が続き、船内で企画を行うことが難しかったですが、99回クルーズの後半も充実させていきたいと思います。
おりづるユースの安藤真子
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