7.おりづるプロジェクト・オンライン

コスタリカにならい、平和への道を発信し続けたい

第35回目のオンライン証言会は、26カ国目となるコスタリカより30名の方が参加されました。そして、今回は核兵器禁止条約の国連での交渉会議・議長だったコスタリカのエレイン・ホワイト大使を迎えての、記念すべきセッションとなりました。

まず、司会のSGIコスタリカのマルガリータ・ノーボさんより挨拶があり、その後IPPNW(核戦争防止国際医師会議)とICANを代表し、カルロス・ウマーニャさんより世界の核兵器保持の現状についてお話しいただきました。

SGIのマルガリータ・ノーボさん

世界中の連帯と意識を、核廃絶のために

IPPNWは、世界60カ国による医療団体の連合体です。核戦争の医学的、そして環境的影響についての認識を高めることを目的としており、1985年にはノーベル平和賞を受賞しました。
現在、世界に13,000個以上ある核弾頭。恐ろしいことに、そのうち約1,800個の核弾頭が、都市に向けられ数分以内に爆発するような厳戒態勢にあるといいます。

カルロス・ウマーニャさんより世界の核兵器保持の現状について

「核戦争のリスクはかつてないほど高まっている」と、カルロスさん。
核兵器は膨大な数の民間人を恐ろしい方法で殺すために作られており、その影響はコントロールできません。そのため、核兵器を使用することはその国にとって自殺行為にもなるのです。
「服部道子さんの悲痛な物語、そして彼女が今も苦しんでおられることが、今度はもっともっと大きな規模で繰り返されるかもしれないということに、私たちの目を向けさせてくれますように。」

一発で何十年もの影響を及ぼす核弾頭が、今、世界中に存在しているということ。そして、意識的であろうと偶発的であろうと今すぐに使える状況にあること。それがいかに危険な状況であるか、改めて危機感を覚えました。

続いて、エレイン・ホワイト大使からのメッセージ。
「被爆者や核実験に利用された先住民、影響を受けたすべての人々に敬意を示したい。核兵器禁止条約において、世界中の市民が声を上げ連帯を表明することを願っています。脅威は続いていると声を上げなければなりません。世界中のすべての人々の意識と連帯が必要です。」

エレイン・ホワイト大使

4年前の7月7日は、122カ国が核兵器禁止条約に合意した歴史的な日。
核兵器の使用は国際的に違法だということを示さなければならないと、広島や長崎を訪問し被爆者と出会う中で痛感したとお話し下さいました。

服部道子さんの証言 ―「過ちは繰り返しませんから。」

1929年に東京で生まれ、小学校5年生の時に家族で広島に移り住んだ服部さん。
女学校卒業後は看護婦として働いていました。

服部道子さんとサポーターの菅田紗央里さん(右の写真の左)

1945年 8月6日。ぎらぎらと太陽が照りつける夏らしい朝でしたが、水を汲みかえようとバケツを持って歩いていたその時、“ピカーッ“と失明しそうなほどの光を感じたとたん、“ドーン”と鼓膜が破れるくらいの大きな音が響いたのです。
その直後に見た広島は、まるでこの世のものとは思えない光景でした。

奇跡的にどこもけがをしなかったという服部さんは、火傷を負ったりガラスが刺さったりした大勢の人々の救護を手伝いました。
今でも目を閉じると、あの時目の前で死んでいった少年や女性たちの姿がありありと浮かんでくるそうです。

「地獄を見るような体験をした原爆被害者の一人として、今、世界中の人々に訴えたいのです。」
そう言って服部さんは続けました。
「原爆という恐るべき核兵器は、人として死ぬことも生きることも許さなかった。まさに「絶滅」だけを目的にした悪魔の兵器です。
あの日のことは一時も忘れたことはありません。核廃絶、命の大切さ、生きる権利や平和、そのことが生きる根源だと思うからです。」

戦争のことをもっと知り自分自身の身に置き換えれば、平和への道が続いていくはず。
そう信じて、「あの日」の本当の体験談を一生懸命に継承し続ける服部さんから、私たちはそれを大切に語り継いでゆく使命を改めて強く感じました。

今、皆が立ち止まるとき

証言会後、マルガリータさんから次の質問がありました。
「どうすれば核兵器禁止条約に加盟していない国に核軍縮をさせることができるのか?」
これに対しホワイト大使は、
「国際法では制裁がないわけではありませんが、条約を受け入れない限り彼らには適用されないという意味で、契約的なものです。政治的な圧力はありますが、強制力があるわけではない。だからこそ、各国の安全保障政策の変革を求める科学者、市民の役割が重要なのです。」と。

次に、服部さんへの質問。
「原爆投下があってから、心の傷や周囲からの差別にはどんなものがありましたか?」
「原爆投下後、行く先もなく青森から宮城、福島、埼玉へと転々としていた。その間、苦しさに耐え切れず何度も死のうかと思ったが、周りの人々に助けられ今日があります。
原爆が落ちてから約10年間は、どんなに病気や生活に苦しんでも国は一切聞く耳をくれなかった。その間が非常に苦しかった。」と服部さん。

証言の最後に服部さんが残された言葉。
「持続可能な地球環境のために、皆が一斉に立ち止まり模索する時期かもしれません。」
この言葉は私の心にとても強く刺さりました。
各国が覇権争いをするのではなく、増え続ける軍事費を自然の脅威から地球を守るための研究に使い、持続可能な暮らしを模索すべきです、と。

今回の開催国であるコスタリカは、かつての軍事費を教育のために充てると決めた、世界で唯一軍隊を持っていない国。それと同時に「環境保護先進国」としても名高い国です。そんなコスタリカとともに、そしてホワイト大使を迎えて証言会が実現できたことはとても意味深いことでした。
日本をはじめ世界中の国々にとって、多くの学ぶべき姿勢があるコスタリカ。
これからも経験や想いを語り継いでくださる被爆者の方々とともに、コスタリカにならいながら平和への道を発信し続けていきたいと思います。
次世代への負の遺産が、これ以上作られないことを願って。

証言会後、主催者たちのほっとした顔

文:高尾桃子
編集:渡辺里香

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