7.おりづるプロジェクト・オンライン

心の傷をどう癒す?~エルサルバドル内戦体験者から問われて~

核兵器廃絶を訴え続けることで戦争のトラウマが軽くなっていく

2021年7月4日、第34回目のオンライン証言会は中米のエルサルバドルとつないで開催しました。
今回の主催者は、ピースボートの水先案内人として乗船され、寄港時には何度もスタディツアーの受け入れをしてくださっているアナ・フランシス・ゴンゴラさん。人類学者、作家、オーストラリアや米国在住の友人が10名参加してくれました。

エルサルバドルでの体験

広島での被爆証言をして頂いた田中稔子(としこ)さんは、 ピースボートでエルサルバドルを訪問した際、内戦時代に大虐殺が起きた現場を見学しました。その時、体調を悪くした田中さんにすぐに気づいて椅子を持ってきてくれた現地の方の優しさに感動した経験もお話しされました。

「恐ろしい虐殺が起きた現場と人間の優しい気持ちがいまでも私の心に残っている、大好きなエルサルバドルです」

小学校の同級生たちは全滅

1945年8月6日、広島で当時6才10か月だった田中さんは爆心地から2.3kmの場所で被爆しました。
朝礼中だった小学校の同級生たちは全員が犠牲となりました。田中さんはなぜ助かったのか。
原爆投下の6日前、広島市の命令によって、田中さんの家族は経営していた旅館をやめて強制疎開をしたため、田中さんはあの日その小学校にはいなかったのです。命は助かったものの原爆の被害は免れず、登校中だった田中さんは頭と腕、首にやけどを負いました。腕の火傷はみるみるうちに水ぶくれになり、激痛が走りました。

隣町から幽霊のような姿で逃げてきた人びとが列をなしていました。火傷をした腕を前に伸ばし、肩からずりむけた皮膚を爪の先にぶら下げて…。なぜそのような格好になるのか、田中さんにはよくわかります。ひどい火傷をすると心臓の鼓動のたびにズキンズキンと激痛が走るのです。心臓より高く腕をあげるとほんの少しだけその痛みが軽減する気がしたのでした。

美しい青い空が見える、これで終わりじゃない

やっとたどり着いた自宅はめちゃめちゃに壊れていましたが、幸い田中さんのお母さんは倒れた壁の隙間にいて助かりました。お母さんは、帰ってきたのが自分の娘だということにすぐには気づかなかったそうです。服は大きく破れ、髪が焼け焦げて縮れ、手足は真っ黒でまるでぼろきれのように見えたからです。2歳年下の妹の額にはガラスが刺さって血が流れていました。

「そのときなぜか、大きく壊れた屋根と天井の間からきれいな青空が見えたんです。大人はそれどころじゃありません。子どもだったんですね。その美しい空の色を今も忘れることができません。
これで終わりじゃない。昨日と同じ空があるじゃないか。まだ明日があるかな、と天が教えてくれたような気がします。子ども心に前向きに生きる勇気と希望をもらったんです。
いま、年の割には元気そうだねと言われます。それはその青空のおかげかもしれませんね。明日があるといつも思えるんです」

その後、高熱が出て意識がなくなった田中さん。お母さんは、この子は死ぬのかもしれないと思ったそうです。そのとき生死を分けたのは、その人が持つ運と体力だけ。
数日して意識が戻った時に最初に感じたのは、人間の遺体を焼く、ものすごい煙の臭いでした。

放射能のことをみな知らなかった

原爆投下の夜、15歳ぐらいのお姉さんが2歳の女の子を負ぶって逃げてきて田中さんの家に泊まりました。2歳の子は大火傷だったのに、無傷だった15歳のお姉さんがすぐに亡くなったので、みな不思議に思いました。そのころ、放射能のことを誰も知らなかったのです。そのお姉さんは致死量の放射能を浴びた状態で重症の妹さんを命を懸けて守ったのでした。

田中さんの親族でも犠牲となった方が数多くいます。結婚後に継いだ田中家のお墓に並んで刻まれている8月6日没の文字は、犠牲者の数が膨大だったことを物語っています。

しかし、原爆の被害はそれだけでは終わらず、放射能被害がのちのちまで人びとの体を蝕みました。
佐々木禎子さんと折り鶴のお話はご存じでしょうか。2歳で被爆し、12歳で白血病で亡くなった禎子さんは、田中さんと同じ中学の4歳年下だったそうです。
田中さんも12歳ごろから甲状腺の異常で後遺症に苦しみました。微熱がでて、喉が腫れ、年中できものができ、耐え難い倦怠感に襲われて、このままでは死ぬのではないかと思うほどでした。

戦後6年間、米軍の統治下で原爆の放射能被害はないとされ、メディアの報道管制がひかれ、被爆者も口を封じられ、医者には体調が悪くても被爆との関係はないと言われました。
しかし、子どもたちである被爆2世にも甲状腺がんなど多くの病気が出ています。核兵器はじわじわと将来にわたって人を殺し続けるのです。

核兵器禁止条約を世界中の国が批准し、非人道的な武器を地球上からなくすこと、世界中のどの国の人びとも二度とこの恐ろしい武器の被害を受けることがないようにすること。その思いが被爆者として、生き残った者の責任としての活動を支えています。

アートを通じた平和活動

壁面七宝を開発して、50年以上にわたってアート活動を続けてきた田中さん。活動を始めてから最初の10年くらいは、原爆をモチーフに作品を作ることはできなかったそうです。あまりにも悲惨な体験だったからです。

しかし、ピースボートで南米に行ったとき、被爆者としての責任を果たすために証言を始めることになりました。70歳くらいの頃です。いまは自分の使命を感じ、生涯をかけて証言をしています。

阿鼻叫喚の被爆の恐ろしさをアートで表すことはできないので、シンボルマークで平和を訴える作品を作っています。2020年には国連平和デーに合わせて、米国5か所の枯山水庭園で平和をイメージしたデザインを手がけました。(https://www.youtube.com/watch?v=e6j3-XsKmCU&feature=youtu.be)2021年には16か所の庭園が参加して砂引きをします。
その庭園協会のロゴマークのデザインにも携わりました。田中さんは、そのロゴマークが世界中に広まって、独自に平和活動をしてくれることを願っています。

「アートと被爆証言で充実した日々を送って、命の尽きるまで頑張りたいと思います」

若い人たちへのお願い

「世界ではこのように言います。
Please make many friends from other countries, when you do so, you are moving the world toward Peace.
どうぞ世界に友達を作ってください。大好きな友達がいる国と何かが起こった時、すぐに戦争をして爆弾を落としてしまおうという気にはなれないと思うんですね。その躊躇する気持ちが為政者にも市民にも大事なんです。お友だちを作って、戦争文化ではなく平和文化をすすめていただきたいと思います」

戦争のトラウマをどうやって癒すのか

オーストラリア在住のオテリア・イサベルさんは、エルサルバドル内戦で銃弾の飛び交う中を逃げた経験があり、今でも就寝中に突然目が覚めて呼吸困難になるなど、そのときのトラウマに悩まされています。オテリアさんの「戦争という恐ろしい体験でできた心の傷をどのように癒してきたのか」という質問に田中さんはこう答えました。

オテリア・イサベルさんから質問「心の傷について」

「世界に核兵器を使わせないという、自分の外側に重点を置くことで、トラウマが少しずつ軽くなっています。世界に非核地帯を作りたい、核兵器禁止条約を有効なものにしたいというのが被爆者としての最後のお願いと希望です。それに賭けています。
個人的な心のトラウマはずっとあります。でも地球上で資源や覇権を取り合って脅しあってもしょうがない。地球は小さな船です。宇宙船地球号のなかで食べ物や資源を奪い合って喧嘩していたらその船は沈んでしまいます。まだ核兵器は13,300発もあり、世界はそれにまだお金を使っているのです。
私の力は小さいですが、それをなくすことを訴えていきたい。個人のトラウマを少しだけ置いて、頑張るしかないのです。どうかエルサルバドルの皆さんもぜひ協力してください」

復讐の連鎖を断ち切るのは被爆者である私たち

作家のラファエル・ロドリゲス・ディアスさんからは、多くの苦難を体験したにもかかわらずそれを乗り越え、人生の目標に向かって前進する田中さんへの賞賛の言葉がありました。また、加害者への憎しみや報復の気持ちというテーマについて次世代にどのように伝えているのか、という質問がありました。

それに対し、田中さんはアメリカの中学校を訪問した時のエピソードを紹介しました。その中学校にいたパレスチナ出身の少年が、被爆者はそんなひどい目にあったのになぜアメリカに復讐しないのか、なぜアメリカに友だちを作っているのだ、と怒って田中さんに質問しました。

「もし復讐をすれば、復讐をされた人がまた同じことをする。それが繰り返されて復讐の輪ができてしまう。その輪は誰かがどこかで断ち切らなければいけない。それができるのは核兵器でひどい目にあった被爆者なのではないかと思ったのです。
爆弾を落とした人が悪いわけではない。どこの国に行ってもいい人はいるのです。エルサルバドルなどは特に人情的です。でも戦争や内戦が起こると相手を殺しても平気になってしまうのです。
もちろん、最初は身内を殺されて許せるわけがない。でもどこかで復讐の輪を切らなければならないのです」

田中さんがピースボートの旅で出会った原爆投下の命令を下したトルーマン大統領の孫クリフトン・ダニエルさんも、原爆を落とした爆撃機の搭乗員の孫であるアリ・ビーザーさんも平和活動をしています。アリさんは田中さんの家に泊まりにきたそうです。
まさに、田中さん自身が復讐の気持ちを断ち切って、世界中に友人を作ることを体現されています。

ピースボートでの素敵な経験

ピースボートの長年の友人であり、今回のホストをつとめてくださったアナ・フランシスさんは、最後にピースボートの旅で出会った乗船者の若者たちの印象やピースボートの平和活動の重要性について語りました。

ピースボートでの体験について話す、アナ・フランシスさん

「船内で、若者たちが被爆証言会のサポートに誇りをもって携わっている姿に出会いました。彼らは優しくて、愛情と敬意をもって年配の方々に接していて、とても感動しました。
ピースボートの平和活動は世界を動かします。そして、私は心穏やかに過ごすことをその船旅で学びました。ピースボートでの活動は、私のこれまでの人生の中で最も素晴らしい体験だと思っています」

アナ・フランシスさんは、心を突き動かす証言をしていただいた田中さんへの深い敬愛と感謝の気持ちを表すとともに、これからもピースボートの平和活動に関わっていきたいと意欲的に話してくださいました。

スペイン語圏に特有の温かい雰囲気の中で進められた今回の証言会。参加した皆さんからは、田中さんの壮絶な体験に衝撃を受けたこと、恐ろしい経験を乗り越えていまアート活動と証言活動に全力を注ぐ姿に勇気づけられた、世界に友人を作ろうという言葉に共感した、穏やかな声から伝わってくる力強い平和へのメッセージに心を打たれたなど、たくさんの感想と感謝の気持ちを送っていただきました。
みな名残惜しそうに笑顔で手を振るなか、エルサルバドルでの証言会は終了しました。

この報告書作成者であり、当日は通訳もつとめた常盤未央子さん

文:常盤未央子
編集:松村真澄、渡辺里香

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