7.おりづるプロジェクト・オンライン

ベトナム戦争を経験したレリさんとの出会いが私を突き動かした

2021年9月18日、第41回目のオンライン証言会を行いました。今回は、軍縮のためのユースリーダー2021(Youth Leaders For Disarmament 2021)に参加するベトナムの学生たち、約150名に証言を届けました。

この会を主催したのは国連の軍縮ユースでもあるリン・トランさんです。冒頭で「この会を通して軍縮についての見聞を広げてほしい」と語っていました。

今回の証言会を主催してくれたリン・トランさん

今回証言をしてくださったのは広島で被爆を経験した坂下紀子さんでした。坂下さん自身、被爆当時はまだ2歳だったため、その頃の記憶はほとんどありません。しかし、物心ついたときから周囲の人たちが話していた原爆について私たちに語ってくださいました。

変わり果ててしまった広島の街

爆心地から1.4㎞のところで被爆した坂下さん。8月6日8時15分、地響きがして辺りは真っ黒になりました。坂下さんのお母様はその衝撃で気を失いかけたそうですが、坂下さんの泣き声で我に返ったそうです。そして気づくと広島の景色は大きく変わっていました。広島の街はがれきに覆われ、爆風と熱線で街は崩壊していました。

英語字幕付きの証言ビデオで語る 坂下紀子さん

坂下さんは爆風で土間に飛ばされて飛んできた瓦礫の釘で額を切ったそうです。お母様はなんとか自分の子ども2人と甥っ子4人の子どもたちをそれぞれ見つけ出しました。しかしそのころには周囲は火の海になっていたそうです。それを見たお母様とおばあ様は火を消すのをあきらめて子どもたちと一緒に逃げることに決めました。逃げる時、そこらじゅうから「逃げろ」「助けてくれ」とうめき声が聞こえたそうです。それを聞いてたまらなくなったおばあ様は声のする方に向かって突然土下座をして「許してつかあさい」と何度も謝ったそうです。おばあ様のお話を聞いて、見捨てたくて見捨てている訳ではないのに「助けて」と言っている人達を助けることができない苦しさが伝わり強く胸が締め付けられました。

逃げるために河原に向かっていた途中に見た大勢の死体についてもお話してくださいました。目玉が飛び出さないように目を抑えながら歩いている人、腸が飛び出さないように抑えながら歩いている人。皮膚がただれ爪のところで皮膚がぶら下がっている人。全身が黒く焦げた人。人間らしい姿をした人はいなかったといいます。そして電柱や瓦礫などに足や手首がぶら下がっていたりもしたといいます。原爆が人間の姿・形をここまで変えてしまうこと。これらがたった一つの爆弾によって起こされたことなのかと思うと信じられない気持ちととてつもない恐ろしさを感じました。

河原に向かって歩いていた坂下さん達でしたが、川につくと川に入ることができないくらいたくさんの死体が浮いていました。そして河原の土手を歩いている時にあの「死の雨」と呼ばれる黒い雨が降ってきたそうです。黒い雨で真っ黒になった坂下さんの顔をお母様は自分の服の端切れを使って泣きながら拭いたと言います。その時に多くの雨を飲み込んでしまったお母様は、戦後甲状腺を患ってしまったそうです。

助けることができなかった後悔と死ぬ間際まで続いた自責の念

坂下さんのお母様がいつも言っていた言葉があります。それは「私は鬼になった」です。山積みにされて焼かれる死体を前に、人を助けてあげることができなかったことに対する自責の念に常に駆られていたそうです。そして大勢の人が亡くなるのを目の前にしてもそれが何でもなくなっていくことに恐怖を感じていたと言います。原爆によって失われる命を間近に見なけらばならない。そしてそこに自分は何もすることができない。決して坂下さんのお母様のせいではないのに、負の感情に押しつぶされそうになりながら生きなければならない苦しさは想像を絶するものだと感じました。

あの日を思い出させるカンナの花

お母様は年を重ねるごとに真っ赤なカンナの花を見るとぶるぶると震えるようになったそうです。それは原爆の日に庭に咲いていたのがカンナの花だったからだそうです。しかし、認知症になって亡くなる直前、やっと病院の庭に咲くカンナの花を静かに見ることができるようになったといいます。そんなお母様の姿を見て、坂下さんは「認知症になってやっとあの原爆の日から解放されたのだ」と思い、「カンナの花を喜んでいたあの時の母に戻ったんだと思って嬉しかった」そうです。そして坂下さんはこう続けました。「とにかく母が私のことを忘れたということよりも、母があの日から解放されたことの方が嬉しかったです。」

8月6日に庭に咲いていたというカンナの花

私は証言を聞く中でこの言葉が重く心にのしかかりました。認知症になるまで原爆から逃れることができなかったお母様。そのお母さまの辛さを長い間肌で感じてきた坂下さんの苦しさも同時に心が痛くなりました。

ベトナムの学生からの質問

証言のビデオを見終わった後、学生から坂下さんへ質問をする時間がありました。苦しい経験をどうやって乗り越え、未来に向かって生き続けているのか、原爆を投下した責任者についてどう思うかなど時間内では収まりきらないほど多くの質問が出ました。
この時間の中で坂下さんが証言活動を始めるきっかけになったベトナム女性との出会いについての話がありました。ピースボートに乗る前までは被爆者であることを隠していたという坂下さん。28年前に日本で公開された「天と地」という映画の原作となったベトナム戦争を経験したレリ・ヘイスリップさんとの出会いが坂下さんを大きく突き動かしたそうです。ベトナム戦争などの話を聞く中で坂下さんは自分も被爆者であることを初めて他人に伝えたそうです。するとレリさんは坂下さんを強く抱きしめたといいます。そして「21世紀は戦争のない平和な時代であること祈りましょう。お互いに祈りましょう」と言い、一緒にそれを誓ったそうです。そして坂下さんが今行っているこの証言活動はその時にレリさんと誓ったことを成し遂げているのだといます。

会の最後にベトナムの学生達から「A Gift From YDF2021」として坂下さんに向けて自分たちが作ったコラージュと動画が送られました。それぞれの絵に思いが込められていて純粋に平和を願う気持ちが本当に世界を平和に変えていくのだと感じた時間でした。

ベトナムの学生から坂下さんへのプレゼントメッセージ(一例)

証言会の後に、「お話を聞いて泣いた」「戦争の残忍さを感じた」などの感想をまとめて送ってくれました

それを見た坂下さんは「未来を創造していて素晴らしかった。若い人たちのおかげで希望が持てた」涙ながらに語りました。それに対して多くのベトナムの学生が「どうか泣かないで」とチャットにメッセージを打ち込んでいました。こうしたやり取りをみながら、ベトナムと日本というどちらも戦争を体験したからこそ分かる戦争の悲惨さがあることを再認識しました。そして、過去の歴史の経験を超えて平和を実現していこうという希望に満ちた温かい時間が過ごせたように思いました。

今回の証言会に参加して

私は今回が初めての証言会への参加でしたが、原爆の体験、原爆がもたらしたものについて国境を超えて共有するこの空間はこれこそが平和を形作っていると感じました。そして同時にこうした温かな空間をこれからも作っていきたいと思いました。

証言会にボランティアとして関わってくれている馬屋原瑠美さん。修学旅行でベトナムを訪れたことを話してくれました。

文:小林美晴
編集:渡辺里香

関連記事

  1. 非核地位を確立しているモンゴルに、核兵器禁止条約への尽力をお願い…
  2. 「母は認知症になって、やっとあの「原爆の日」から解放されたのです…
  3. 「いったん戦争が始まってしまうと、苦しむのは国民」と米国・ペンシ…
  4. 豪州フリーマントル市長「核兵器禁止条約が発効し、今日が始まりです…
  5. アルゼンチンで皆さんと語り合いたい。長崎、広島で亡くなった人たち…
  6. アメリカ人である私も、この歴史上の出来事を人間の視点から考えるこ…
  7. 日米の学生に向けて「放射能が原因で苦しむのは私たちで充分」
  8. インド出身のアンキタさん「核兵器をなくすためには、被爆者の声に真…
PAGE TOP