7.おりづるプロジェクト・オンライン

モーリシャスの参加者「原爆は、人間の感情、愛、絆、文明、尊厳すべてを破壊してしまう」

9月28日、44回目のオンライン証言会がアフリカ宗教者平和会議(ACRP)主催で開かれました。60人の参加者は、主に東アフリカ諸国・地域(モーリシャス、ベナン、レユニオン島、ウガンダ、セイシェル、ジンバブエ)から。今回証言を行ったのは長崎の被爆者である和田征子さんです。

祈りから始まった証言会。最初にアフリカ宗教者平和会議のリネット・ンガユさん(前回西アフリカ諸国を対象に証言会を行った時の司会者)から「直接被爆者の方から話を聞くことは活動する上で重要なだけではなく、人道的影響とは何かを理解することになり、現在推し進められている核兵器禁止条約においても理解を進めることになる」と、この証言会の持つ意義についての話がありました。

リネット・ンガユさん

1943年に生まれた和田さんは原爆が投下された時、まだ1歳10か月でした。「幼いがゆえにその当時の体験を他の被爆者のように語ることはできませんが、(原爆投下時に)私は確かにそこにいました。」そう言って、お母様から聞いた話を基に原爆投下後の様子を語ってくださいました。

戦争が終わった長崎で

1945年8月15日。第二次世界大戦が終わった時、和田さんのお母様は被爆した人たちの救護活動のため長崎大学の講堂(Auditorium)に行ったそうです。その時のその場所の様子は「誰も表現することはできない」と和田さんは声を強めました。お母様はお医者さんと一緒に一人一人の犠牲者の治療に試みたそうですが、ひどく傷ついている人ばかりで「誰かこの消毒液を受け取って下さい」と叫んだあと、気を失ってしまったといいます。医療が脆弱だった当時、まともな治療を行うことはできません。当時の様子を知らない私が容易にその様子を「想像できた」と言うことは適切ではないと思いますが、和田さんのお話を通して原爆によって受けた火傷や傷に苦しむ人々の様子が目に浮かび、どれほど悲惨な光景だっただろうかと胸が痛みました。

一つ一つの質問に丁寧に答える和田征子さん

目を覚ますとお母様自身も床に寝かされていることに気づいたそうです。そして「気を失うような看護師はいらない」と言われ、清掃係に送られました。そこでは床に寝かされていた人々の火傷や傷跡にわいていた親指ほどの大きさのあるうじを取り除く仕事をさせられたそうです。

また家の隣りには空き地があったそうですが、そこでは朝から晩まで毎日たくさんの死体が焼かれていたそうです。

「人間の尊厳とは一体何なのか?人はごみのように焼かれるために生まれてきたわけではない。」とお母様は繰り返し和田さんに話していたそうです。そのお母様は胃がん、肝臓がんなど生涯に渡って様々な病気に苦しみ、亡くなるまでの間、28回にも渡り入退院を繰り返していたといいます。

お母様の被爆体験を伝えていた和田さんでしたが、その内容にお母様は満足していなかったというお話もありました。何が起こったのか伝えられると感じていたものの、他の被爆者の前でも被爆証言をすることにためらいがあるといいます。しかし、被爆者の平均年齢が84歳を超えている今、これまで被爆者が続けてきた活動を若い被爆者が続けていく必要があると和田さんは言っていました。同じ被爆者であるにも関わらず、当事者でいることに窮屈さを感じなければならない。若いころに被曝を経験した和田さんには、被爆を伝える被爆者としての苦悩も感じました。

戦後隠された原爆

戦後、日本を訪れたトーマス・ファーレルによる放射線の影響はないとする声明や日米両政府による被爆者の治療の停止、報道の制限によって原爆に関連するものを公に出すことは禁じられていました。そのため被爆者は自らの苦しみの原因を知らされなかったといいます。原爆を受けただけではなく、自分の受けた苦しみの原因を知らされない。戦後の被爆者には二重の苦しみがあったのだと感じました。そしてその年の末までに、広島・長崎では20万人以上の市民が亡くなりました。「被爆によって一瞬にして命を奪われた人々は自分の身に何が起こったかも分からずに死んでしまったのだ」と和田さんは強く訴えていました。

また、亡くなった方だけではなく、今日まで様々な後遺症で苦しむ被爆者が多いこと、そして彼らは経済的な厳しさを強いられていることや誤った情報による社会からの差別を受けていること、そして多くが夢を諦めたことが語られました。そうした被爆者の中には日本人だけではなく、中国や朝鮮半島出身の方もおり、彼らは国家からの支援も受けることができず、人種差別に苦しんでいるといいます。

これから私たちがやるべきこと

核兵器禁止条約が採択され、そして今年は条約が発効しました。和田さんは「政府の決定だけでなく、我々市民によって政府の決定を後押ししていかなければならない」また「市民社会の一員として、尊厳を持つ人間の一人として、そしてピースメーカーとして核兵器の廃絶を求めていかなければならない」と話しました。そして「核兵器を作った者、それを使った者、そしてその結果を喜んだ者は許しがたいが、被爆者は復讐をしようとは思っていない。もし3度目の原爆投下が起きてしまったら、誰も生き残ることはできず、喜ぶ者はいないだろう。」と付け加えました。たった一度しかない人生を原爆によって狂わされたにも関わらず、自分たちが経験したことを二度と繰り返してはならないとして活動をし続ける被爆者の方の覚悟を強く感じました。そして和田さんは「核抑止は正義ではない」と訴え、「対話を重ね、行動に移すことをしてほしい。」と話しました。

参加者との対話の中で

和田さんの証言のあと、参加者から多くの質問と感想が寄せられました。モーリシャスの参加者は「原爆は単に物質的に何かを破壊するだけではなく、人間の感情、愛、愛着、絆、文明、文化尊厳すべてを破壊してしまうのだと感じた」と言っており、とても印象的でした。原爆が破壊してしまうものについて、そして原爆が残すものについて改めて考えさせられました。和田さんはこの感想に対して「ただ命が亡くなった。そのことも大きなことだが、そのあとの人生も壊されたということが大きな事だと思う。」とお話されていました。ご自身のお母様を間近に見られてきたからこそ感じている和田さんの思いがこの言葉に込められているように感じました。また核兵器禁止条約について反対する国がある中でこの状況を打破するために私たちがやっていくべきことは何かという質問に対しては、「これまでも禁止条約ができたことによって製造されなくなった兵器がある。時間がかかるかもしれないが、核兵器は許されないものだという意識が私たちの中に浸透するだろう」と。またそうした世界の潮流において核兵器を保有し続けようとする国に私たちは働きかけなければならないとしました。また参加者の一人から、モーリシャスの現在の状況についての説明があり、米軍の駐在が条約批准を妨げているという日本と似た状況があると感じました。

最後の挨拶をしたバシル・ナックチャディーさん(アフリカ宗教者平和会議・モーリシャス)

「核兵器禁止条約について同じ認識を持つことの大切さを感じた」「若い世代がエネルギーをどう作り、使っていくのか考えていってほしい」「プレッシャーをかけるのではなくて、教育や精神を変えていくことが大切だと感じた」といった感想もありました。

証言会を通して

和田さんが「世界にはまだ被爆者が生きていることさえ知らない人がいる」と言われていたことに驚きました。私は広島出身で被爆者の方は身近な存在であるがゆえに、世界ではまだまだその存在が知られていないことが信じられませんでした。しかし、知らない人がいるからこそ、こうやってオンラインで世界中の多くの人に被爆者の方の声を届けることの大切さ、そしてこの証言会の意義深さを再認識しました。また証言の中で和田さんが「76年前、私はそこ(原爆が投下された長崎)にいました」と二度言っておられた言葉がとても印象に残りました。私たちは原爆を断片的にしか知らず、過去の歴史として認識しがちです。その時代を知らない私たちがそういう風に感じてしまうのは仕方がないことなのかもしれません。しかし、76年前の原爆を生き延び、今この瞬間まで原爆によって苦しみや痛みを背負って生きてきた人々がいること。それが被爆者と呼ばれる人たちなのだと和田さんの言葉を通じて強く感じました。このことを意識することが原爆を単に歴史の一部に留めないことにつながると思いました。

以前和田さんからお話を聞いたことがありましたが、今回参加者の皆さんの反応を含め様々な意見や考えを聞くことができ、改めて私自身の考えを見直したり、問い直したりする時間になりました。ありがとうございました。

司会、質疑応答を担当したサラ・キマニさん

参加者からの質問がたくさんありました。

証言への感謝を述べる参加者

核兵器国へのアクションを訴える参加者

今回、フランス語、英語、日本語の3言語対応だったので、通訳のレミー・ミオさんとソレン・ペティコルさんが大活躍でした。

レミー・ミオさん(ピースボートスタッフ)

ソレン・ペティコルさん(オンライン証言会運営ボランティア)

文:小林美晴
編集:渡辺里香

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