5月11日、ピースボートVoyage117は南アフリカのケープタウンへ入港しました。
南アフリカは核兵器禁止条約への署名が始まった2017年に署名、2019年に批准をしており、条約発効に必要な締約国50か国のうちの1つです。
また、開発に成功した核兵器を廃棄した唯一の国であり、核兵器禁止条約を作る・促進する過程で非常に大きな役割を果たしていますが、実はその働きは一般市民にはあまり知られていません。
一方で「核兵器の完全廃棄」を宣言した元大統領のフレデリック・ウィレム・デクラーク氏は、ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ氏とともにアパルトヘイト(人種隔離)政策を撤廃した功績が認められ、1993年のノーベル平和賞を共同受賞しています。
今回は、アフリカとグローバルサウスの発展や平和構築のために、教育や科学、技術といった多方面から責任あるAIを研究しているラボ「エクイアノ研究所(Equiano Institute)」のメンバーによるパネルディスカッションと意見交換会を実施しました。
このラボはおりづるユースのジョエルが共同で立ち上げた団体ということもあり、今回一緒に寄港地でのプログラムを準備してくれたジョナス・ゴモさんとの久しぶりの再会を喜んでいました。
会場に到着後、まずはおりづるプロジェクトディレクターの渡辺より、ピースボートやおりづるプロジェクト、今回のイベントの目的などについて紹介したのち、被爆者3名から挨拶とこれまでに自身がおこなってきた活動について述べました。その後話し手を交代し研究所のメンバーからも自身がおこなっている活動を教えてもらい、お互いへの質問をする時間としました。
被爆者の田中煕巳さんは「最初に核兵器が使われてから80年経ち、(ロシアのウクライナ侵攻やガザパレスチナ問題が影響し)再び使われようとしている。しかしどの時代も大戦争のきっかけはささいな争いだった。核兵器は1発で大きな威力を持ち非人道的な影響を与えるということを、みんなが学び改めて訴えていかなければいけない」と自身の危機感を共有する挨拶をしました。
「アパルトヘイトを経験した南アフリカの自分たちだからこそ伝えられることはありますか」という質問に対して田中稔子さんは「アパルトヘイト政策を撤廃したネルソン・マンデラ氏は何年も刑務所に入れられながらも自由を訴え続けた。戦争は何もしなくても発生するが『平和』は訴え創り続けなければ無くなってしまう。それはみんなが手を取り合って協力していかないといけない」と返答しました。
また小川忠義さんは「原爆が落とされた日本は70年は草木が生えないと言われたが復興した。どうか今を悲観せず必ず戦争は終わり復興できると願っててほしい」とパレスチナの人々へのメッセージを伝えました。
ナミビア出身で、平和のためにテクノロジーを学んでいるスージー・シェフェニさんは、被爆者からの話を聞き「歴史を学ぶだけでなく当時を経験した人から話を聞くことはとても大切だと感じている。実際に被爆者に会えたのはとても嬉しい。平和のためにテクノロジーを学んでいるが、平和を守るために平和がなくなるのは良くない。自分と同世代の若者と協力し戦争に繋がる暴力をなくせるようにインターネットで発信していきたい」と話してくれました。
意見交換会のあとは会場が準備してくれた茶菓子を食べながら交流をしました。なかなか会いに行くことができない国の人との交流とのことでお互いにたくさん写真を撮りあい、田中稔子さんは帰り際に「同じ人として平和構築について懸命に考え行動している人がいると知り、南アフリカのことがより身近に感じるようになりました」と喜びを伝えていました。
このあと船はナミビアのウォルビスベイへ寄港した後、10日間の洋上を経てスペイン・カナリア諸島にあるラスパルマスへ寄港します。
メディア掲載: 5月20日 IOL “Japanese atom bomb survivors urge ceasefire in Gaza, call for global nuclear disarmament”
(文:橋本舞)