朝焼けがテーブルマウンテンを包む幻想的な景色のなか、パシフィックワールド号は南アフリカのケープタウンへ入港しました。
南アフリカ共和国の中でヨハネスブルグに次ぐ第2の都市ケープタウン。まずは車窓観光にて、奴隷職人たちが住まわされていたボカープ地区(別名:マレー地区)や、南アフリカで最古の建築物と言われているキャッスル・オブ・グッドホープ、ネルソン・マンデラ氏が演説をしたバルコニーがあるケープタウン市庁舎など、街並みを楽しみました。
その後、デズモンド&レア・ツツ・レガシー財団を訪問し、ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ大主教を学ぶ展示を見学したあと、財団メンバーと交流し核兵器や原子力発電、紛争解決など幅広いテーマについて、各国の現状共有や解決方法などの意見交換をおこないました。
デズモンド&レア・ツツ・レガシー財団は、アパルトヘイトに反対する非暴力的な闘争と、南アフリカにおける人種平等と正義の実現に尽力した功績によってノーベル平和賞を受賞したデズモンド・ツツ大主教と、その妻、リア・ツツの遺産を継承・発展させることを目的に設立された団体です。
人権の尊重や平和的対話の推進、持続可能で公平な社会の実現を目指し、教育プログラムやコミュニティ支援活動を通じて、若者や市民の意識向上に取り組んでいます。

事務所の天井を飾るユーモアなモニュメント
財団の事務所である「デズモンド&リア・ツツ・ハウス」に到着した一行は、最初に常設展示「Truth to Power」を見学させてもらいました。
ここの展示は6つのテーマに分かれており、アパルトヘイトの始まりや、デズモンド・ツツがアパルトヘイトを終わらせるためには南アフリカに対する国際的な制裁運動必要だと訴えたこと、その後の真実と和解委員会の活動、ネルソン・マンデラとの交流などを学びました。
展示の中には、アパルトヘイト時代にうけた迫害の証言映像や実際に亡くなった方々の名前を記した壁もあり「当時を思い出してツラくなる」との理由でここに来れない現地の人もいるそうです。しかし「絶望だけで終わってほしくない」と財団メンバーの想いから最後の展示は、現地のコサ語や希望を感じるような明るい曲を使用した動画で締めくくられています。
展示見学のあとは「核兵器のない世界への旅 日本のピースボートとのパートナーシップによる討論会」と題したイベントに参加しました。
デズモンド&レア・ツツ・レガシー財団のCEOを務め、ピースボートに水先案内人としての乗船経験もあるジャネット・ジョブソンさんが司会となり、まずは広島被爆者の伊藤正雄さんが被爆証言を話しました。幼少期の出来事だったため多くのことは覚えていないけれど、それでも残っている嫌な記憶、伝承者として活動し始めたきっかけなど、被爆者から直接話を聞く機会に、参加者は真剣に耳を傾けます。
その後「被爆者として差別をされたことはなかったか」という質問に対して長崎被爆者の倉守照美さんは「放射能によってDNAを傷つけられた被爆者が子どもを産むと、障害があったり病気になりやすいという話が広まり、就職や結婚などを断られることがありました。そして今でも後遺症による痛みを訴える仲間がいます」と自身や周りの人が経験した差別を話しました。

証言をする伊藤正雄さん
被爆者からの証言のあとは、パネリスト3名によるディスカッションです。
まずは、南アフリカ国際関係協力省(DIRCO)国連政治平和安全保障担当局長のザヒール・ラーヘル氏が「核兵器禁止条約(TPNW)初の検討会議議長としての南アフリカの役割」をテーマに話をしました。
世界に脅威をもたらし続ける核兵器から解放されるには、完全に破棄する必要があること。実際に使用された時をイメージし「核は無いほうがいい」という考えが世界に広まることで核兵器禁止条約が不変的なものとなること。そのために南アフリカが核なき世界をつくるリーダーになるべきだ、と力強く発言しました。

パネリストの話を聞く参加者
ピースボートの川崎哲からは「なぜ私たちは核兵器のない世界を目指す必要があるのか」をテーマに、市民社会が手を取り合って核兵器禁止条約への加盟を訴えていく必要性や、今一度ヒバクシャの証言を通して被害の実相を伝えること、ヒバクシャ支援への制度を強化していくことが語られました。
南アフリカ宗教コミュニティ環境研究所(SAFCEI)事務局長のフランチェスカ・デ・ガスパリス氏からは「戦時下の原子力エネルギーの危険性ーウクライナの事例研究ー」をテーマに原発に関する懸念を述べました。
南アフリカは核兵器を放棄し非核地帯条約も制定した一方で、原子力発電所を保有しており「原子力発電は環境に優しい」という世論から増設する計画があること、事故が起きれば国境を越えて影響を及ぼすこと、原子力を武器として使う団体が出てくる懸念などを話しました。
その流れから、原発稼働差し止め訴訟裁判の原告団の一人として関わっている伊藤正雄さんに話が振られ、一度裁判に勝訴し稼働は止まったがその後の再審によって再び稼働が始まったことなどを伝えます。
被爆者やパネリストの話を聞いた会場からは「核兵器を放棄した南アフリカで被爆者の話が聞けたことは、大変意義深い」といった感想や「チェルノブイリ(チョルノービリ)原発が起きたときに近くに住んでおり4歳だった。その後ウクライナが核兵器を放棄したときは本当に嬉しかった」と自身の経験の共有など、さまざまな声が寄せられました。

参加者に鶴をプレゼントする伊藤さん
終了後には被爆者の二人に声をかけて、直接お礼や感想を伝えてくれる参加者もいました。
イベント終了後には街はすっかり暗くなっており、帰船時の船は港の光に包まれて着岸時とは別の姿を見せて楽しませてくれました。
次はスペイン領のテネリフェに向けて航行します。
(文:橋本舞)