9月13日、最初の寄港地であるベトナム・ダナンに入港した。ここでの「おりづるプロジェクト」の主な目的は、ベトナム戦争でアメリカ軍により使用されたエージェント・オレンジ、いわゆる枯葉剤による被害者との交流である。
日本では、体の一部が連結して生まれたベトちゃん、ドクちゃんの双生児がメディアで取り上げられたことで、枯葉剤による被害について知った人は多いだろう。だが、今から30年以上も前の1975年にベトナム戦争が終結したにもかかわらず、今なお直接枯葉剤の被害を受けた人たちから生まれた2世、3世にもその影響が出ていることを知る人は少ないのではないか。被害者は300万人を超え、現在も毎年3万5千人が新たに生まれているという。
原爆被爆者、そして枯葉剤被害者。時代こそ違え戦争がもたらした近代兵器の犠牲者という点では共通している。そこで今回「おりづるプロジェクト」が計画したのは、交流を通じて、お互いが置かれている立場を理解し、核兵器廃絶や戦争をなくすことを訴えようというプログラムである。
交流会では、日本側から参列した102名のヒバクシャを代表して、韓国から参加した郭貴勲(カク・キフン)さん、大森克剛さん、八木義彦さんの3人が被爆証言をし、ベトナム側からは、枯葉剤被害者2世である28歳のフンさん(ダナンからシンガポールまで水先案内人として乗船)やベトナム戦争時「アオザイの闘士」として名を馳せ、現在枯葉剤被害者支援協会名誉会長であるグエン・ティ・ビン元副大統領らがそれぞれスピーチした。会場には、小学校に上がる前の年端も行かない枯葉剤被害者も参加しており、直接子供たちと触れ合ったヒバクシャが思わず涙をこぼすシーンも見られた。
またその夜は日越国交樹立35周年の記念イベントが市内の劇場で開かれ、広島で被爆しブラジルに移民した森田隆さんが壇上に立った。
「私は被爆証言を行うため今回ピースボートに参加しましたが、ベトナムに来て枯葉剤被害の実態を知り、衝撃を受けました。今後は核兵器廃絶だけでなく枯葉剤のことも含め、戦争がもたらす被害を伝えていきたい」と力強く訴えた。
フンさんに鶴の折り方を教える田中稔子さん
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