1.ヒバクシャ証言の航海

高汚染のベラルーシのゴメリで、地元の医師・住民と活発な交流を行いました

4月4日午前、被爆者と全日本民主医療機関連合会(民医連)の一行は、ベラルーシ第二の都市ゴメリ(Gomel)市近くの町ベトカ(Vetka)にあるベトカ地区病院にて、地元の医療従事者および地域住民約20人と交流会を行いました。ここはチェルノブイリ原発から280キロ離れていますが、高い汚染の被害をうけ、たくさんの住民が避難を余儀なくされたところです。

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ゴメリから車を走らせてベトカに向かう

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ベトカ地区病院

院長のナデージャ・ジミナ(Nadezhda Zimina、ナージャ)さんがあたたかく迎えてくださいました。ナージャさんは昨秋来日し福島を訪問したこともある方です。交流会は外来棟の会議室で、約2時間30分にわたって行われました。

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右端がナージャ院長

ピースボートからの挨拶のあと、被爆者を代表して長崎の増川雅一さんが冒頭の発言をしました。増川さんはパワーポイント・スライドで原爆投下当時の写真を映し出しながら、日本の被爆者たちは今日までずっと病気で苦しんできたこと、原子爆弾の技術がその後原発に用いられるようになったことに触れ、核のない世界の実現に向けて力を合わせようと呼びかけました。

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冒頭のお話をする増川さん(右端)。中央がイリーナさん

ここから質疑応答が始まり、活発な意見交換になりました。まずエレナ・ヤシコワさん(46才)は、プリピャチから約3キロのおばあさんの家で事故に遭遇し、火災の様子をその目でみたといいます。そして事故時に政府からは情報が得られなかったし、頼りになる医師もたいへん限られていたと証言しました。そして日本で原爆被爆者の治療にあたってきた医師たちに「放射能に対処する特別な方法はあるのですか」と質問しました。

これに対して民医連副会長の小西恭司医師は、日本の被爆者による原爆症認定集団訴訟の経験に触れながら、放射線による疾病に対する「特別な治療法はない」としつつ、「早期診断・早期治療が何よりも重要」と強調しました。そして、自身の病院には「被爆者外来」が置かれていることを紹介して、医師が病気をみるだけでなく、ヒバクシャの生活に寄り添い、生活全般の話を聞いていくことが重要だと述べました。そして被爆者と医療者が一緒になって国に対する運動を進めた結果、1957年に被爆者援護法がつくられたという経過を紹介しました。

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日本の被爆者の運動の経験を基にお話しする民医連の小西医師

続いて、事故当時この病院の院長であったミハイル・ボブコフさん(87才)が挨拶をされました。事故当時放射能については何の情報も知識もなかったが、地元の医療者と住民が自ら勉強をして、野菜は洗い、キノコはゆで、サウナに入って土やほこりから体をきれいにするなどして、放射能から体を守ることを自ら実践してきたと述べました。

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事故当時院長であったミハイル・ボブコフさん

その後話は出産への影響に及びました。先のエレナさんは助産師をやっていますが、事故直後の一年間、年1380人の赤ちゃんの出産のうち6人に先天性異常(足のようなものが6本あるような奇形の例を含む)があったと報告しました。これに対してナージャ委員長は強く反論し、年6人の先天性異常は通常と比べて多いとはいえないと指摘しました。遺伝子に障害がもたらされるのは放射能だけが原因ではないから、ということです。

山田一美さんが、船上でみた映画『チェルノブイリ・ハート』で扱われていた先天性異常(奇形)の多発について尋ねると、ナージャさんは「その映画は私も見たが、その内容はウソだと思う」と答えました。そして「汚染地域には奇形児ばかりがいるというようにとらえるのは間違いだ」と指摘しました。ナージャさんは、原発事故の放射能が原因となって引き起こされた病気として公的に認定されているのは甲状腺ガンだけだと述べました。他方、この地域では96パーセントの人が毎年の健診を受けており、心臓病などが多いことも事実だとも述べました。ベラルーシ保健省はチェルノブイリの事故後、甲状腺、腎臓、肺、膵臓などにガンが増えていることを認めていますが、原発事故の放射線との因果関係が認められたのは甲状腺ガンだけだということです。

住民たちは事故後、放射線から体を守る術についての何の情報もなかったため、何でも制限せずに食べたのだそうです。ただしミルクは禁止され、また、店には子ども用の安全な食品が用意されたとのことです。

その後話は、マスコミの報道の状況、広島・長崎の大学とゴメリの大学・医療機関との連携などに及びました。

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ベトカ地区の住民約20名が集まってくれた

ベトカの住民から「ガンを予防する方法はないのか」という問いが出たに対して、小西医師はあらためて「早期診断・早期治療が重要だ」と強調するとともに、「ガンになった場合、それは自分が悪いのではない、(被爆者の場合)原爆が悪いのだというふうに考えることが重要だ
」と語りました。精神面での気持ちのもちようが非常に重要であるというのです。

そこに中村博さんが自身の体験を語りました。数多くのガンと手術を体験し、今も骨髄に転移がみられるにもかかわらず、医師とも相談して気持ちをしっかりと持ってこの100日間の航海にのぞんでいると語ると、会場から拍手がわきました。

小西医師が「福島の事故後、関東のホットスポットで子どもたちの鼻血やどうきなどのケースが報告されているが、こちらではどうだったか」と尋ねると、ベトカでも子どもの低血圧、貧血、鼻血などの症例があったという発言がありました。1986年4月(原発事故のあった月)に女の子を出産した女性は、その子が14才になるまで鼻血が続き、ドイツに行って診察を受けたことを話しました。その後鼻血は出なくなったが、いま26才になってまた出るようになったので心配しているとのことです。

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事故の時に生まれた娘の鼻血が心配だと語る女性。左端は助産師のエレナ・ヤシコフさん

ベトカの住民から、被爆者の子や孫への影響の質問が出ました。李鐘根さんは自らの家族には何の問題もなかったことを紹介し、田中稔子さん(日本からこのプログラムのみ参加)は自分の家族には影響が出ていると感じており「2世、3世への影響についてこれから研究が進むことを願う」と語りました。

石川律子さんが自身の被爆者としての体験をもとに、差別や偏見の問題について質問しました。すると会場はざわざわして「ある、ある」と複数の人が話し始めました。ここから避難していった人たち、特に子どもたちが「チェルノブイリのハリネズミ」といわれて差別されたというのです。

議論は、国の補償問題にも及びました。被害者への補償は「チェルノブイリ手当」として支払われてきましたが、地元の人々はそれを「葬式代手当」と皮肉って呼んでいました。月給の半額くらいの手当が支払われていましたが、ソ連崩壊後、「ウクライナやロシアは出ているがベラルーシではもう払われなくなった」とのことです。日本からは、被爆者手帳、健康管理手当、原爆症認定された場合の追加的な手当などがあるということを具体的に説明しました。参加した住民の間では、国からのサポートは「まったくない」という人もいれば、「子どもたちがサナトリウムに行ける」といった制度を紹介する人もいました。

会合の最後に、婦長さんがベラルーシ人とベトカ地区に対する誇りを語り、ずっとここに住んでいる人たちにとって問題は「パニックと恐怖」であると述べ、国の手当は少ないが、住民同士で運動し、笑い、遊んで過ごしているとのお話がありました。

その後一行は、院内に備え付けてあるホールボディー・カウンターを見学。田中さんが体重、身長をはかり、年齢を聞かれた上で、いすの形のカウンターに座って内部被ばくを検査しました。今年1ミリシーベルト以上の内部被ばくを検出したのは、子ども1人、大人4人だったそうです。昨年は40人が検出されました。田中さんはもちろんまったく問題ない数値でした。ただしこのタイプのカウンターと測定法は、日本とは異なるものです。

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ホール・ボディカウンターのいすに座る田中さん

病院にお別れを告げた後、近くのバルトロメフカ村を訪れました。事故当時この村には約1500人の住民が住んでいましたが、高い汚染のために1989年から90年に住民の退去が命じられました。しかし一部の人は残り、また、自発的に帰還して、現在5人だけが暮らしています。昨年は9人が暮らしていました。そのお一人のエレナ・ムジチェンコさん(80才)のお宅におじゃましました。周辺は廃墟になった家屋も多い中、エレナさんはお一人で暮らし続けているということです。お部屋やペチカ(暖炉)、お庭、サウナなどを見学させていただきました。

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バルトロメフカ村のエレナさんのお宅におじゃました

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80才のエレナさん(左から2人目)はここで一人暮らし。彼女を含め5人だけがこの村で暮らしている

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離れのサウナも見学させてもらった

しかしそのお庭では、1マイクロシーベルト/時以上の線量が検出されました。屋内で0.3マイクロシーベルト/時くらいです。原発から280キロ。福島から東京よりもずっと離れた位置にあって、事故から26年が経った今日、今日の福島市内の比較的高線量のところと同じくらいの汚染が続いていると考えると、汚染地域の問題は何十年にもわたって長期的に取り組まれなければならないことを強く実感しました。

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エレナさんのお宅の庭を計ると1μSv/h以上。家の外は0.3程度なので、この家の庭だけがとくにホットスポットになっているようだ

昼食時に全員でこの3日間の振り返りを行い、この貴重な経験を今後どう生かすかを含め、一人ひとりの気持ちを語り合いました。

一行はゴメリから約4時間半かけてベラルーシの首都ミンスクのホテルにチェックイン。お疲れ様の乾杯をして、チェルノブイリ特別プログラムの内容はほぼ終了しました。アレンジから通訳まで一手に引き受けてくださった日本チェルノブイリ連帯基金のイリーナ・ニコラエバさんに改めて感謝です!

(文・川崎哲)

★ベラルーシ訪問に関する報道

2012.4.5 共同:非核特使がベラルーシ訪問 原発事故汚染地で意見交換
http://www.kyodonews.jp/feature/news05/2012/04/post-5274.html

2012.4.5 中国:非核特使がベラルーシ訪問 原発事故汚染地で意見交換
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201204050154.html

2012.4.5 佐賀:フォトニュース:非核特使がベラルーシ訪問
http://www.saga-s.co.jp/news/global/photonews.0.2185001.article.html

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