9月27日、インド洋上で行ったヒバクシャの方々の記念撮影
前回に引き続き、横浜出航からインド・コーチン到着までに行われた企画を紹介する。
・「おりづるヘキサゴン~もう羞恥心とは呼ばせない~」
今クルーズの乗船者約750名のうち、世代別でみると約4割が60代以上。また約4割が30代未満で、残り2割がその間の年齢層といった内訳。なかでも300人近くいるいわゆる若者たちにとって、広島・長崎の被爆は、身近に経験者がいなければ、遠い世界の話といっても過言ではない。
そこで「おりづるプロジェクト」をもっと若い人たちに知ってもらおうと、クイズ形式による核についての入門講座を11日から4回行った。内容は、プロジェクトディレクターの川崎哲ピースボート共同代表が講師に扮し、わかりやすく解説するというもの。
初日である11日夜のテーマは「原子爆弾とは何か」。2夜目は「世界の原爆の現状」。3夜目は「在韓ヒバクシャの歴史的背景」と続き、3夜目の講義の補足として特別授業「在韓ヒバクシャの現状」も急遽設けることになった。若い人向けに時間帯を夜に設定したため、20代の参加者が大半を占め、これまで核問題に興味がなかった人も足を運んでくれた。
扮装した「カワサキ先生」が質問をしながら、講義を進めるスタイルが若い受講者に大受け
・「ヒロシマを語り続ける~北米で平和を語る日本の女性活動家~」
9月28日、カナダ在住で国際的に被爆証言を行っているセツコ・サーローさんが自らの活動を語る講演を開催。昨年2007年、カナダの民間人としては最高の名誉である「カナダ勲章」を受賞した彼女は、これまでの活動を振り返りながら、今なお証言を続ける意義を語ってくれた。
13歳の時、広島で被爆したセツコさんは、戦後アメリカに留学。そこで「原爆投下が、戦争を早く終結させた」「被爆の話をするなら日本に帰れ」などと誹謗中傷を受け、一時は帰国も考える。しかし、ここで自分が真実を語り続けなければ原爆で亡くなった多くの犠牲者が浮かばれず、また核兵器による被害や戦争もなくならないと考え直し、活動を続けることを選択した。その後、カナダに移ってからも、ソーシャルワーカーとしての仕事の合間を縫って続けてきた証言活動や反核運動について、具体的に披露。
インド入港直前だったため、インドの核問題についても触れるなど、国際的な視野に立ったスケールの大きなスピーチとなった。
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