みなさん、こんにちは。
ピースボートの野口香澄です。
先日6月9日はイタリアのサルディーニャ島のカリアリに行きました。
その時の様子をご報告します。
今回、ピースボートでカリアリを訪れたのは2回目。
1回目は第94回ピースボートの船旅でした。
私自身もカリアリに訪れるのは2回目。
前回、私も訪れ熱烈な歓迎を受けたのは記憶に新しいです。
今回のカリアリでの目的は今までとは少し違います。
イタリア政府自体はNATOへの加盟国ということで核兵器禁止条約には反対をしています。
同年9月にはイタリア議会がイタリア政府に対して、核兵器禁止条約に参加する「可能性を追求する」ことを求める決議を採択しました。今回の訪問でカリアリ市はイタリア政府が核兵器禁止条約に参加することを求める市議会決議を挙げるため、その一押しをするために今回の広島・長崎の被爆者たちの訪問を楽しみにしています。
共に核兵器を廃絶していく同士として手を取り合い歩んでいくという意味を込めた訪問でした。
まず、最初に歓迎イベントがありました。
最初に受け入れの平和団体の代表の方のご挨拶がありました。
そこで、まず、今回のイベントに被爆者の方々が来る意味を話してくれました。
「戦争があった時の出来事はTVや本などで見ることが出来るが、今回被爆者が来ることで直接話を聞くことが出来る。
そして話を聞くことでこのような悲劇を二度と起きないために残された人達が何をしていくのか考え、尽力していく必要がある。イタリア政府は核兵器禁止条約にまだ署名も批准もしていない。その中で市民の力でサインをしてくように働きかけていく。」と言っていました。
被爆者の体験がどれほど、カリアリの市民に希望と背中を押すことになるのかというのが伝わってきました。
その中で被爆体験を話してくれたのは広島で3歳の時に被爆した上田紘治さんです。
上田さんはご自身の記憶はありませんが、お母さまや他の被爆者の方たちから聞いてきた被爆体験を話、いかに原爆を落とされることで死に方自体も人間らしさ失っていくのか、その悲劇を二度としないように残された者たちが何をしていくべきなのかという話をしていただきました。
子どもたちから折り鶴の首飾りや絵をプレゼントしてくれました。
記者会見にはICANイタリアのリサさんとダニエルさんも参加しました。
核兵器禁止条約にイタリア市民たちを巻きこんでいく必要があるようにしていく。
そしてイタリア政府が核兵器禁止条約に賛同していくために働いかけていくというものでした。
そして、おりづるメンバーにもいくつか質問がありました。
被爆をすることで差別や偏見があるのか。
また原発に対してどのように思っているのかなど。
差別や偏見への質問に関しては、倉守さんから「結婚の時に家柄を調査され、被爆者とわかると結婚を破棄された。その時好きだった人と結婚が出来なかった」という話をしてくれました。
原発に関しても上田さんより、「日本にある原発は核兵器が5000~7000発も作ることが出来るほどの威力がある」と説明した上で1日も早く原発の稼働の停止をしていけたらと話をしてくれました。
イタリアで一番有名というTV局も撮影に来ており、取材を受けました。
次に公式イベントに参加しました。
そこでは被爆2世の品川薫さんと長崎被爆の倉守照美さんが証言会を行いました。
品川さんは原爆が落とされた時の被害、倉守さんはご自身の体験をそれぞれ話ました。
会場には200名を超えるほどの多くの市民や平和団体の方々が真剣に耳を傾けていました。
質疑応答も元々の時間を大幅に超えてしまうほど多くの方々から質問を受けました。
たくさん質問の中で1つ印象的な質問をご紹介します。
「日本は核兵器禁止条約に反対をしていますが、日本の若者たちは核兵器禁止条約に対してどのくらい理解があり、反対している政府に対してなにかアクションなどをしているのですか?」
私自身はこの質問にきちんと答えられるかわかりません。
正直、日本での核兵器禁止条約の理解度・知名度に関しては高いものとは感じないですし、それに対して日本政府を動かすために何かアクションをしていることはないからです。
カリアリの市民たちは何度も「今回の市議会の決議がイタリア政府に弾かれようと諦めない」と言っていました。
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