10月31日、井口健さん、川崎武彦さん、田中稔子さん、渡辺淳子さんの4名からなる代表団がギリシャに停泊中の船を下船し、空路ベネズエラに入国した。そして11月3日(月)よりベネズエラにおける活動をスタートした。
まずは、ラグアイラ市にある海軍兵学校での証言を含んだフォーラムを行った。
フォーラム開始前に、ピースボートスタッフのグティエレス一郎がベネズエラ国営ラジオから取材を受けた。同ラジオはイベントも録音していた。また、テレスール(南米多国間国営テレビ局)もイベントを取材していた。また、ラグアイラ市でも映像を取り、国営テレビで取り上げてもらうようにお願いするとのことであった。
フォーラムはまず、オープニングダンスがあり、小、中、高生と特別教育生徒がベネズエラの様々な民族(特に先住民とアフロ系)のダンスを披露してくれた後、ベネズエラ市民若者代表のダビード・ミランダ氏より歓迎の挨拶をいただいた。
その後、ピースボート、また広島・長崎の原爆投下について知っていただくために映像を流し、その後井口さんと渡辺さんの証言となった。
井口さんは、中学2年生の時の広島での被爆体験を語った。その日のすさまじい光景と黒い雨、当時の自分の身体的な症状や今もかかえている健康面の不安、そして二度と同じ悲劇が起こらないために被爆者達は核廃絶を決して諦めない決意について話された。
渡辺さんは2歳の時に被爆し自分の記憶はないものの、母親から聞いたその日の状況を説明されました。さらにブラジルへ移住し、38歳のときの里帰りで、初めて被爆していることを知った時のショック、そしてそれをきっかけとして始めた在外被爆者援護運動について話された。
証言後には、情報通信省・歴史顧問のエドアルド・ロテ氏から、古代での戦場のみの争いから、一般市民が大人数に犠牲になる現代にいたる歴史過程、そして平和を目指して核兵器廃絶をうたった南米諸国連合設立条約(UNASUR)の重要性についてコメントがあった。また、「戦争は戦場で勝つものではなく、あらゆる生活現場で勝つものだ」と強調された。
そしてラグアイラ市長、アレクシス・トレドによる平和市長会議への加盟の署名がなされた。その際、市長は「平和に関するものであれば何をサインするにも迷いはない」とコメントした。
会場は海軍兵学校の生徒を始め、約300名の聴衆で埋まり、フォーラム後もそれぞれの被爆者を囲んで、熱心な話し合いが続いた。ピースボートスタッフが撮影した人の中で海軍兵がとても感銘を受けており、1人が「私は今軍服を着ているが、戦争をするためではない」と真剣に話していた。
また、会場では平和市長会議による「都市を標的にするな(Cities Are Not Targets)」の署名に多くの方が協力してくださった。(署名の人数は最後の集計する。)
長丁場であったが、ベネズエラ代表団の活動は順調な滑り出しをみせた。
(カラカス=吉田紋子、グティエレス一郎)
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