6月30日(火)には、ベネズエラから乗船したALBA加盟国の国際奨学生8人や、GET(洋上語学プログラム)の先生達が英語とスペイン語で、また日本語では7月3日(金)に、「わたしとヒロシマ」と題して、笹森さんの被爆証言を聞きました。
1945年8月6日、笹森さんは当時13歳でした。78歳の小さな体に皆の注目が集まる中、あの月曜日の朝に学校で交わした友人との会話や、被爆直後に街を歩く中で見かけた赤ちゃんの姿など、時に声をつまらせながら、詳細にお話ししてくださいました。原爆の熱線で、顔と上半身が焼け焦げ、本当にひどい火傷を「トーストの焦げたところを取り除くようにはがし、膿が出る中、ハサミで切り取らなくてはならなかった」笹森さん。ずっと看病をしつづけたご両親は、しかし、一度も涙を見せることなく、またアメリカを怨むようなことも言われなかったそうです。
「人間はみんな家族なのに、それを戦争が敵・味方に変えてしまう。だから、これからを生きる子どもたちのために、本当に戦争をなくさなくてはいけないんです。」
波乱万丈な人生の中でも一つ一つの出会いをとても大切にして、深く感じ、愛することに肯定的なお人柄が、被爆証言を通じて、いわば、いのちのメッセージとして伝わってくるようでした。一人の英語セッション参加者は、「原爆の悲惨さを教えてもらったが、それでも笹森さんが運命やアメリカや人を憎むのではなく、隣の人を大事に愛することが平和につながると呼びかけたのが特に印象的だった。優しさや人間の強さは原爆でさえも破壊しきれなかったと知ることが出来てよかった」と伝えてくれました。
(小松真理子)
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