第3回「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加された児玉光雄さんが毎日新聞(2010/11/6)・読売新聞(2010/10/27)の広島版に掲載されました。
以下毎日新聞に「広島の発言2010」として掲載された内容を一部紹介します。
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今年4月~7月までの101日間、NGO「ピースボート」の船に乗り、世界各地で被爆証言をしてきた。「3月に友人が亡くなったのが参加した一つのきっかけ。亡くなった友人は、広島県立第一中学校(現・県立広島国泰寺高校)の級友。原爆を生き抜いた仲間だった」
1945年8月6日は、爆心地から800メートル余りの学校で自習をしていた。1年生は約300人いて、半数は自習、残りはすぐ近くの広島市役所裏へ、建物疎開の作業中だった。
「『ピカッ!』。黄金の火柱をみた瞬間、机の下に潜り込もうとして意識を失った。気が付くと、校舎は完全に崩れ落ち、机と椅子のわずかな空間に閉じ込められていた」
命からがら、がれきの中からはい出たが、外の景色は、まさに地獄だった。建物疎開に出ていた1年生約300人中、生存者はわずか19人だった。・・・続く。
(奥村早苗)
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