5月4日(金)本船オセアニック号が約3ヶ月間の航海を終えて、横浜港に帰航しました。おりづる被爆者の皆さんは証言の航海をやり終え、みなさんそろって笑顔で帰国することができました。
今回は入港が一日遅れたため、正式な帰航記者会見は中止となってしまいましたが、3社のメディアの方が取材に来てくださり、ミニ記者会見のようなかたちでインタビューが行われました。
インタビューの中では、それぞれがプロジェクトに参加した感想、印象的だった寄港地などの質問がでました。被爆者の皆さんが共通して持っていた感想は、世界で被爆者がいかに歓迎され人々が真剣に証言を聞いてくれたかということ、そしてこのような証言を世界に向けて行っていく重要性を実感したということでした。
長崎出身の山田一美さん(79歳)は今回参加したきっかけについて、「今までは自分よりも大変な経験をした人がたくさんいたから自分が出る幕はないと思っていた。しかし、そういう人たちが亡くなっていく中で長崎でボランティアガイドをはじめ、学生たちと接することで自分が証言をしていかなければならないという気持ちになり今回参加した」と答えました。山田さんはキューバやスペインなどで証言し原発も含めた核の廃絶を訴えました。
また、今回若年被爆者として参加した広島出身の石川律子さん(被爆時1歳)は印象に残った寄港地としてイタリア、ローマでの中学生に向けた証言会をあげられました。石川さんにとっては初めての証言となったイタリア。広島で長く小学校教諭として勤めていた経験をもとに、自分の家に残っていた黒い雨の跡の話や広島の中学生がどのような平和教育を行っているかというお話をされました。「あとで現地の先生が、『今日のあなたの話は子どもたちの心に後々まで残るでしょう、私もあなたのような平和教育を行いたい』と言ってくれたことがとても印象に残りました。また、証言が終わってから生徒たちが握手を求めてきたり、私が日本から持ってきた千羽鶴を彼らが自分たちで作った千羽鶴で迎えてくれたことにじーんときました。こういう形で通じ合うものがあるのだなぁと思いました。」と記者の方に思いを伝えられました。
また、広島から参加された李鐘根さんは原発に関する質問に対して、「原発があれば今の時代原爆なんて必要ないんですよ」と答えられました。「チェルノブイリには広大な土地があるのにあの小さな場所(原発)によって多くの地域がどうにもできないんだから、日本なんて2、3発の原発に爆弾を落としたらみんな住むとこなくなってしまうんですよね。そうすると今は原爆いらないですよ。それぐらい我々は原発を持っているということを考えなければならない。」と、今回のプロジェクトを通して広い意味で「核」を捉えるようになったことを発言されていました。
インタビューの中でもやはり注目さていたのは原発についてのこと-特にチェルノブイリ訪問のことでした。以下、その記事が掲載されていますので、ぜひご覧ください。
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「核の怖さ、伝わった」 被爆者、世界に体験訴え
非政府組織(NGO)「ピースボート」の船に乗り、世界で核廃絶を訴えた広島、長崎の被爆者10人が4日、横浜港に帰港した。最高齢の参加者喜多村隆昭さん(83)=長崎市=は「福島原発事故を受けて世界的に核への関心が高まる中、病気や差別にさらされ続ける被爆の恐ろしさを知ってもらえた」と語った。
10人は政府の「非核特使」として、5回目となる「ヒバクシャ地球一周証言の航海」に参加。20カ国で被爆体験を語り、チェルノブイリ原発も訪れた。
増川雅一さん(71)=長崎市=は「生の証言を世界は驚きをもって聞いてくれる。これからも海外でも語り続けなければ」と話した。
2012/05/04 19:26 【共同通信】
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(ピースボート 上泰歩)
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