1.ヒバクシャ証言の航海

第6回おりづる参加被爆者紹介(長崎編)

2013年7月18日に出航する、第6回「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加される被爆者のみなさんを、2回に分けてご紹介させていただきます!

今回は、長崎被爆の3名を紹介します。

大村和子さん

$    ピースボートのおりづるプロジェクト

長崎被爆 1927.10.1生まれ 被爆当時17歳

<被爆証言要約>
原爆が投下される3日前、南島原市にある祖父の家を訪れた。用を済ませて長崎市に帰ろうとしたが、バスが故障したために足止めされ、9日当日は長崎市にいなかった。そして原爆投下の3日後の12日、ようやく長崎市内に入ることができ、爆心地から500メートルにある自宅へ。両親と妹・弟は亡くなっており、火葬して壺に入れ持ち帰ったときに初めて涙が出た。中学3年生だったもう一人の弟も探したが見つからなかった。
70年近い年月が流れても自分にとっての両親は若い姿のまま。あの恐ろしい長崎の様子を見たとき、いかなる場所にも原爆が使用されてはならないと思った。

池田昭さん

$    ピースボートのおりづるプロジェクト

長崎被爆 1931.9.27生まれ 被爆当時13歳

<被爆証言要約>
爆心地から3kmの地点を歩いていたとき周りが真っ黄色に光り、物陰に隠れようとしたときに爆風で倒されガラス片を浴びた。家に戻ると屋内はめちゃくちゃだったが、幸い家族は無事だった。その後疎開した先で「日本は早く降伏せよ」と米軍機から捲かれたビラに書いてあったことを記憶している。8月22日に家族全員で長崎市の家に戻ったが、その頃近所のお姉さん方がやけどや放射線障害のためにばたばたと亡くなっていた。小学校の校庭で遺体を火葬する様子が2カ月続いていた。
安心して暮らせる世界は「核兵器が一発もない世界」しかない。遠い国の話と思わず、「核なき世界」の実現に向けて応援してほしい。

宮田隆さん

$    ピースボートのおりづるプロジェクト

長崎被爆 1939.10.2生まれ 被爆当時5歳

<被爆証言要約>
原爆を投下したB29が飛来する前に、白いパラシュートに吊り下げられた黒い物体が落ちてくるのを見た。爆発の圧力や気温を計測するためのラジオゾンデだった。その後、巨大爆撃機B29の轟音を聞く。ピカッドーンの光線と爆音。母と自宅にいたが、嗚咽して「帰ろう、帰して!」と言ったのを記憶している。長崎駅までバリバリと炎が燃えていた。夜まで燃えて、月が不気味に赤かった。9日夜、爆心地から2.5キロメートル離れた自宅にいると、焼けただれた状態の看護婦が、標高330メートルの山を越えて逃げてきた。
焼けただれた状態で、一言「水をください」と言い、母が水を飲ませるとばたっと倒れた。5歳にして初めて人の死ぬ瞬間を見た。父親が家財道具を積んだリヤカーを引き、母親と5歳の自分がリヤカーを押して、小浜までの40kmを歩いて疎開。
あの恐怖体験を、子ども・孫の世代に2度と体験させてはならない。

次回は、広島被爆の6名のみなさんをご紹介いたします!

(おりづるユース特使 瀬戸麻由)

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