みなさん、こんにちは。
おりづるインターンの鈴木 俊平です。
8月9日(金)、私たちは長崎平和祈念式典に参加しました。
68年前のこの日、長崎市に投下された原発は市内の人口(当時)約24万人のうち約14万9千人もの人が死傷しました。建物は約36%が全焼または全半壊したといわれています。
当日は広島での式典と同様に猛暑でしたが、用意された席は満席で立ちながら参加する人も多く見られました。
式典は、被爆者の方々で構成される合唱団「ひまわり」や青少年による合唱で始まりました。
被爆者の方のスピーチでは原爆および核の恐ろしさについて語られ、これから二度と核兵器が使われないよう強調されました。
一方、安倍内閣総理大臣による宣言では、今も後遺症などで苦しむ被爆者への言及はあったものの、核への具体的な発言はありませんでした。
そんな中、田上 富久(たうえ とみひさ)長崎市長は政府の姿勢を
「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。4月、ジュネーブで開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明に、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました」
と主張されました。
このような発言は日本の核廃絶を訴えている人々だけでなく、世界の非核運動に携わっている、または非核を願っている人々の気持ちを表していると思います。
あの日から68年が経ち、風化が問題になってきていますが被爆者の方々の苦しみや傷は消えることはありません。
若い世代の私たちになにができるのか、そのことを改めて考える日でした。
(おりづるインターン 鈴木 俊平)
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