おりづるプロジェクトでは、来年の戦後(被爆)70周年に向けて、日本国内にある様々な平和資料館や戦争遺構などを実際に訪れ、当事者から話を聞く機会を多くつくっていきたいと思っています。
その第一弾として、1月26日(日)におりづるスタディーツアー①「靖国神社訪問~太平洋戦争時の記憶を探る~」を行いました。その時の様子を、ツアーに参加した畠山澄子さんに報告してもらいます!(ピースボート古賀早織)
————————————————————
1月26日(日)おりづるスタディツアーの第一弾を行いました。下は10代、上は70代まで15名が集まって、ピースボートスタッフ野平晋作さんのガイドのもとたっぷり2時間、靖国神社と遊就館の見学をしました。
靖国に来るのは初めてという方が大多数を占めた今回のツアーですが、意外にも賑やかな靖国神社の様子に驚いたのではないでしょうか。敷地内には大型観光バスが何台もつき、参拝客が次々と鳥居をくぐっていきます。遊就館も大盛況で、『私たちは忘れない―感謝と祈りと誇りを―』という、日清日露戦争以降の日本の戦争について解説した映像を上映中の映像ホールはほぼ満席、ギフトショップもお客さんでごった返していました。
靖国神社は1869年、明治政府が戊辰戦争での官軍の戦死者を弔うため、東京招魂社の名前で創建されました。その後1879年に靖国神社と改称。日清、日中戦争などの戦没者がまつられてきました。
私たちは今回、野平さんから靖国が孕むいくつもの論点について教えてもらい、考えました。
まず考えたのは、安倍首相の靖国談話で言うところの「国のために戦い、尊い命を犠牲にした英霊」の定義、そして英霊を祀ることの意味です。
靖国神社には現在250万近い人がまつられる一方、原爆や空爆で死んだ民間人や、官軍と戦った旧幕府側や明治政府に反抗した西郷隆盛らは対象外です。反対に、台湾や韓国の人で、日本軍として戦争に参加した人や、日本人であっても他宗教(キリスト教など)を信仰していた人も靖国には祀られています。このような英霊に関しては、遺族が希望をしても、分祀が認められていません。みんなで一つの魂を構成するため、分祀はできないというのがその理由です。しかし、亡くなったとされて合祀されたあとに、本人の生存が確認された人に関しては、「合祀の手続きがうまくいかなかった」という理由で合祀取り下げを認めたといったケースもあるので実際には方法がないわけではないのです。
日頃「英霊」といってわかったような気になっているけれどもその言葉一つとっても幾層もの問題があることがわかりました。
次に、私たちが靖国と聞いて連想する歴史認識の問題です。
アジアには、靖国神社の哀悼の対象である日本軍戦没兵士が参加した戦争による死者・被害者がいます。これらの死者・被害者との関係抜きに、靖国神社が日本国民だけの追悼の共同体にとどまるならば、その追悼や「哀悼」の行為そのものが、外からの批判を免れないことになってしまいます。そして実際にそうなってしまっているのが現状ではないでしょうか。
日本軍戦死者たちの参加した戦争は、どれほどの死と被害をもたらしたのか。靖国神社に合祀されている戦死者たちの戦争が、とりわけアジア諸国に、また、日本の植民地支配下にあった諸民族に、どれだけの死と被害をもたらしたのか。それを問うことができなければ、自国の戦死者への追悼や哀悼も、他者からの批判に耐えられず、その正当性は瓦解してしまいます。
さらにこれは、先の戦争を指導し、極東国際軍事裁判(東京裁判)で責任を問われた東条英機元首相らA級戦犯14人が合祀されえいることによってさらに複雑化しています。ピースボートや日韓クルーズを通してアジアを訪れ、現地の人と交流する私たちにとって、この問題は避けられません。
さらに、国家の指導者の問題に関していえば、政教分離というのも重要な視点です。靖国神社は第二次世界大戦までは軍の管轄にありましたが、1946年以降単立宗教法人となりました。国からは独立した宗教法人です。その独立宗教法人に国を代表する人たちが参拝するのはどうなのかという意見が絶えません。先の大戦を思い出しても、国家神道は戦争動員の精神的支柱となりました。その中心的施設だったのが靖国で、その反省を反映しているのが政教分離を定めた憲法です。実際過去の様々な判決では国家の指導者の参拝が合憲とされたことはありません。
ちなみに、靖国参拝に関しては、メディアが「中国や韓国の反日感情を煽る・・・」といった報道の仕方をするため、どうしても外交問題として考えられてしまう側面が大きいのは否めません。「やはり外交関係を円満にするためにも靖国参拝は控えてほしいなー」といった意見もよく聞きます。しかし、一歩踏み込んで考えたいのは、戦争のための装置としての靖国神社
の側面です。
高橋哲哉さんも著書『靖国問題』(ちくま新書)の中に書かれていますが、靖国の問題がどのように国家のしくみや安全保障の話につながっているかは理解しておく必要がありそうです。
「軍事力をもち、戦争や武力行使を行う可能性のある国家は、必ず戦没者を顕彰する儀礼装置をもち、それによって戦死のの悲哀を名誉に換え、国民を新たな戦争や武力行使に動員していく。子安宣邦はこのことを「戦う国家とは祀る国家である」と的確に表現した(子安宣邦『国家と祭祀―国家神道の現在』青土社、2004年)。付言すれば、祀る国家とは戦う国家なのである。」(P. 205)
高橋さんは、したがって、靖国の代わりに国立追悼施設を新たに建設したらどうかという案に関しても、慎重にならねばならないと述べています。
「このような観点から見て、「国立追悼施設」が新たな戦死者の受け皿にならない必要条件とは何か。それは、この施設における「追悼」が決して「顕彰」とならず、国家がその「追悼」を新たな戦争につなげていく回路が完全に絶たれていることである。具体的に言えば、国家が「不戦の誓い」を現実化して、戦争に備える軍事力を実質的に廃棄することである。また、「不戦の誓い」が説得力をもつためには、「過去の戦争」についての国家責任をきちんと果たすことが必要である。」(p. 211)
このような考えはあくまで靖国問題を通して国家のあり方を考えたときの一つの解でしかありませんが、私たちが表面的な話ではなく、靖国を切り口に、より深く国家のありかたや戦争や平和への姿勢について考えていくことは大事なのだと感じました。
おりづるプロジェクトでも原爆の話を通して何を考えていくのか、何を世界に発信していくのかを考えていかなければなりませんね。まだまだ越えなければならない山がありそうです。
(文責:畠山澄子)
この記事へのコメントはありません。