みなさん、こんにちは。現在航海中の船は、本日(24日)、スペインのモトリル港に寄港しています。
この間、寄港地が続きブログでの活動報告が遅れていましたが・・・これまで、寄港地では、ムアラ(ブルネイ)、シンガポール、コロンボ(スリランカ)に続き、アカバ(ヨルダン)、アウシュヴィッツ特別プログラム、コトル(モンテネグロ)で証言・交流活動をしてきました。
また、船内では、福島の子どもたちへ被爆証言会行ったり、イスラエル・パレスチナの学生らと意見交換会を行ったり、時にはメンバー全員で「のど自慢大会」に出たりと(笑)、忙しくも充実した日々を過ごしています。
これらの活動も少しずつブログで報告していこうと思いますので、長い目でお待ちいただけると幸いです!
さっそく本日は、ユース2名より、ヨルダンでの活動について報告してもらいます!
(ピースボート古賀早織)
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おりづるユースの浜田あゆみです!
さて、私達おりづるプロジェクトは一般参加者と一緒にツアーを出発して、途中でおりづるメンバーだけのツアーも行いつつ、ヨルダンでの日々を過ごしました。
朝早くバスを出発し、バスはアカバの港から首都アンマンへ、四時間半ほどかけて到着しました。
おいしいヨルダン料理を楽しんだあと、ヒバクシャメンバーはアンマンの車窓観光へ、そして私達ユース二人は勉強も兼ねてシリア難民キャンプを訪れました。何万と広がるシリアの難民キャンプ。そしてその実態。私達の持って行った少ない支援物資は彼らの心にどう響いたのか。支援物資を巡って石を投げ合う母親たち。彼女たちを暴力的にさせてしまったことは少なくとも私達の記憶にしっかりと刻まれ、支援の在り方を考えさせられました。
そして夕食時は様々な関係でヨルダンで働く方が来て下さり、テーブルを囲んで会食しました。私のテーブルには国連で働く女性、そして青年海外協力隊でパレスチナ難民キャンプで美術の講師をしているというまだ20代の女性と一緒にお食事をしました。貴重な話や実際に数か月・数年住んでみて感じることや経験をお話して頂き、本当に勉強になりました。
そしてシリアの医師との交流会。シリアで人の救護にあたっていたというだけで刑務所に入れられ、刑務所内では水を飲ませてくれないという罰もあったという話。医師はトイレの水を飲んで刑務所の中で過ごしたそうです。この日、様々な実情を目の当たりにしたり、聞いたりした私と奈織ちゃんは遅くまで2人で思うことを語りましたが、二人では見つけることのできない答えにもやもやしたまま、ベッドにもぐりこみました。
次の日はおりづるチームは二手に別れて行動しました。服部さん、坂田さん、計屋さんはヨルダンの国会議員と面会へ。そして私達他のメンバーはパレスチナの人々が生活する地域へバスを走らせ、女子校を見学しました。学校では楽しく元気に勉強する子供たちがいて、先生も本当に楽しんで子供に教えている様子で、大変嬉しい気持ちにさせられました。
そして図書室で、パレスチナ難民一世の方との面会。
パレスチナ難民一世の方たちは1948年から今まで、家に帰れないでいる状態で、「すぐに戻れる。ちょっとだけ家を離れる」というつもりでヨルダンに逃げてきたらしいのですが、それが今まで帰国できない状態でいるのです。彼らのシンボルである「家の鍵」は想像していた以上に大きく、重々しく、それは家族で受け継がれるものになっているそうです。そして家の土と土地の権利書をしっかりとケースに入れて私達に見せてくださいました。
どのように家を追われたのか、その時の様子をお話くださいました
ヒバクシャの杉野さんの証言を行い、一生懸命聞いてくださる姿勢にとても感動しました。
被爆証言をする杉野さんとポスターを持ってサポートするメンバー
しかし、私が思うのは、痛みを共有することは大変に難しいということです。パレスチナの自分の土地を踏んだことのないはずの二世の方も地図を見せて、「ここが俺の家だ。ここに帰らなければならない」と訴える姿を見ると、私達の想像を絶するユダヤ人またはイスラエルへの憎悪、悲しみ、苛立ちが何世代にも渡ってあるのだと、考えさせられました。
私達が共に共感すべきは、平和への祈りだと改めて感じます。ヨルダンへは3.11以降日本が原発を輸出していく方針にあると聞いています。そしてヨルダンは地震もある国だそうです。パレスチナやシリアの難民を抱え、ほぼ人口の半数が難民だという、こんなに素晴らしい国・ヨルダンが原発を作り、そして万が一原発の事故が起こって更に福島の方たちのような難民が出てしまったとき、人々はどこにいけるのでしょうか。
ヨルダンの方々が絶対に反対して下さること、そして日本がそのような事をして地球を傷つけない、人を傷つけないように祈ります。
(おりづるユース特使 浜田あゆみ)
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