7月25日(火)、梅雨の明けた蒸し暑い横浜に、105日の船旅を終えた第10回おりづるプロジェクトのメンバーが帰ってきました。3か月以上に及んだ地球一周を経てお疲れの方もいるかもしれないと心配もしていましたが…入国審査・税関を経て横浜大桟橋国際客船ターミナルの到着ホールに姿をみせたみなさんは全員笑顔で元気でした!
無事に下船し105日間の「ホーム」であった船に手を振る参加者
地球一周の船旅をともにした他の参加者のみなさんとの別れを惜しみつつ、一行は早速展望デッキで最後の集合写真を。ここは4月12日、出航の日に同じように写真を撮った場所でもあります。今回被爆2世として参加した山村法恵さんからは思わず「すべてはここで始まったんだね~」という一言がポロリ。
地球一周を終えて笑顔をみせる参加者ら
続いてターミナル内で行われた記者会見には、共同通信、神奈川新聞、NHK横浜支局などの記者の方に加え、オーストラリアでコミュニティラジオ番組を持っているという方も取材に来てくださいました。
会見では、はじめにピースボートの川崎哲と野口香澄から簡単に今回のプロジェクトの成果について説明したあと、今回のおりづるプロジェクトに参加した7名が順番に旅の印象を述べました。
川崎と野口からは主な活動と成果として3つのことを強調しました。一つは核兵器禁止条約への賛同と交渉参加を各国に求め、条約成立への機運を高めたこと。二つ目は世界のさまざまな戦争被害者や各被害者との連帯活動を展開したこと。そして三つめは被爆二世、ユース特使、ピースガイドなど、次世代の活動の可能性を広げたことでした。
記者会見の様子
続くプロジェクト参加者の発言はまさにこれらの成果を具体的な事例とともに紹介するものでした。特に被爆者の3名は、各地で核兵器禁止条約への賛同と加盟を訴えたことやその過程での各地のグローバルヒバクシャとの出会いなどが印象的だったようです。
トップバッターとなった長崎被爆の三瀬清一朗さんは、代表団としてニューヨークを訪問し、核兵器禁止条約の交渉会議のサイドイベントで発言したり他国からの各被害者とつながったりできたことが印象深かったと記者団に語りました。その上で、「核兵器禁止条約の成立は私たちにとってアポロの月面着陸と同じくらいのビッグニュースである」と、禁止条約の締結が被爆者にとってもつ意味の大きさを感じさせる発言をしてくださいました。広島被爆の田中稔子さんはNATO加盟国などが核兵器禁止条約になかなか賛同しない現状を憂いつつも、スウェーデンなどの国に代表されるような条約支持のスタンスをどれだけ世界に広げていけるかが重要だと仰っていました。同じく広島で被爆した土田和美さんは、イタリアでふれた「軍需産業を平和産業へとシフトしていかなければならない」という考え方に触発されたといい、さらに、軍縮を考えていく上で貧困問題が切り離せないことを学んだなどといった発言もされていました。
発言する三瀬清一朗さん
今回の船旅に被爆2世として参加した山村法恵さんと砂原由起子さんは被爆のメッセージを伝承していくことの可能性を訴えるとともに、そのためにとるべき姿勢や学ぶべきことについても示唆に富む発言がありました。船で証言をした経験を語る山村さんの発言からは、2世も「証言者」として核兵器の悲惨さを伝えることができるという希望が感じられました。砂原さんは船内やシンガポールで日本の加害について学ぶ中で、被害を語るということが、常に自分の立ち位置(時に加害者としての)を意識することと同時のプロセスでなければならないということに気が付いたと話していました。
今回ユース非核特使として2回目の乗船をした鈴木慧南さんは2年前に比べて核兵器禁止条約に向けて明らかに機運が高まっていることを肌で感じたと報告してくれました。また同じユース非核特使として乗船した遠藤愛弓さんは、船内でのさまざまな企画を通して若者を巻き込んでいった経験を話し、その中で砂原さん同様日本以外のアジアの人たちといかに誠実に対話を重ねられるかが広島・長崎のメッセージを伝えていく上でのカギだと語っていました。
継承について話す被爆2世の砂原由起子さん
質疑応答ではやはり核兵器条約とそれに先立つ交渉会議に関するものが多く、とりわけ参加をしなかった日本政府に関してどう思うかという質問が複数あげられました。この質問に対して田中稔子さんは「大変失望している。日本は唯一の被爆国として平和に向けてリーダーシップを取るべきだと思う。」と答えていました。オーストラリアの方からは核の抑止力についての質問もありました。これについては三瀬さんが「核兵器で平和はつくれない」と力強く答えました。
こうして2008年に始まったおりづるプロジェクトの記念すべき10回目が無事に幕を閉じました。18か国21都市で証言活動をし、出会った人々は2000人を超えます。今回のおりづるプロジェクトに参加した7名は、被爆証言を世界に伝えるというミッションのために3ヶ月苦楽を分かち合い、家族であり同士のような存在になったようです。参加者のみなさんの「苦しかった、楽しかった、やりきった」の言葉にたくさんの思いがつめられているとしみじみと感じました。
おりづるプロジェクトの「修了証」とともに
ほっと一息つく間もなく、ピースボートでは戦後72回目の夏に向けて加速を始めます。今後東京では7月29日(土)に東ちづるさんもお迎えしておりづるプロジェクト地球10周記念イベント「核なき世界へ、今できること」の開催を予定しています。みなさまぜひお誘いあわせの上お越しください。
なお、今日の帰港の様子はNHKで報道されています。ぜひご覧ください。
核兵器禁止条約制定訴えた被爆者が帰国
(文責:ピースボート 畠山澄子)