皆さん、こんにちは。
ピースボートの野口香澄です。
サーロー節子さんが現在日本に来日をしております。
そこで、過去数回ピースボートの船にもご乗船したことがあるサーロー節子さん。
今回、ピースボートセンターとうきょうへやってきて、スタッフたちと交流をしました。
集まったピースボートスタッフに向けて一言いただきました。
「10年前、ピースボートクルーズ63回で100人のヒバクシャが乗りました。それはヒバクシャにとって大きな希望でした。
今まで、被爆したことを話す、聞く、書く、ということは「するべきではない」「隠さないといけない」という雰囲気だったし、周りからもそういわれてきました。
被爆して傷を負った人はそれを隠して生きてきました。
でもピースボートクルーズに乗って、たくさん話せる場がもらえた。寝るとき以外の16時間はずっとはなしていた。
「あなたはどこから来たの?被爆したときは何歳?どんな状況で被爆したの?」
今まで共感してもらえる人がいなかった状態だったので、こんなにたくさんの仲間がいるんだとうれしかった。それはあなたたち(ピースボートスタッフ)が考えている以上に、ヒバクシャにとって希望になり勇気づけられた。
そんなピースボートもこんなに大きくなった。前にきたときはこの建物ではなかったですよね?
これからもピースボート,皆さんの活躍を願っています。」
被爆者の73年に比べると、ピースボートのおりづるプロジェクトの10年間はまだまだ活動としては小さいものかもしれません。
しかし、サーロー節子さんを始め、これまでに乗船してきた約170名以上の被爆者の方々と共に、核廃絶を目指してこられたのは、とても誇りに思えるものだと思います。
サーロー節子さんがおっしゃってくれた一言を胸にまた船を出していこうと思いました。
ピースボート 野口香澄
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