みなさんこんにちは、第99回クルーズおりづるユースの安藤真子です。
今回は今おりづるプロジェクトの総まとめを行いたいと思います。
9月1日に横浜港を出港した第99回クルーズは108日間で21カ国24都市を旅しました。
その108日間で私達はのべ1200名に向け被爆証言を行ってきました。
船内と17寄港地で証言活動を行い、様々なバックグラウンドや想いを持った方々に出会いました。
これが、ピースボートという「船」で旅をしながら証言活動をする最大の意義であり強みだと思っています。
私にとっては2度めとなったおりづるプロジェクト。
その全てが1度目とは異なり、日々新しい発見の連続でした。
当たり前ですが、乗船する被爆者が異なれば、その被爆体験もメッセージも異なります。
被爆者と地球一周しながらその想いを伝え、また原爆を体験していないユースとしてどのような役割を果たすべきかを考え続けるということは本当に私にとって意味深いものでした。
「今乗らなければ、5年後ではきっと遅い」と考え乗船を決意した重みを感じる108日間となりました。
これまでの「証言の航海」があったからこそ行えた証言会や出会えた方々が本当に多かったように感じます。
このブログを書いている今も様々な寄港地で出迎えてくれた仲間たちの顔が次々と浮かびます。
寄港地の証言活動を通して出会った方々の多くは私たちと同じ「核兵器廃絶」への想いを共有している人々でした。
その一方で、同じ方向を向いているわけではない人々にも会い核兵器について考える機会の必要性も感じました。
また、証言活動を行い核兵器禁止条約の重要性や発効に向けた想いを強調するたびに、日本政府が同条約に反対していることへの不甲斐なさが募りました。
実際に、「日本が核兵器禁止条約に反対しているとは知らなかった。なぜ被爆国であるのにも関わらず反対なのですか?」という質問を受けたのも1度ではありません。
船で旅をしながら証言を伝えていくことの意義を噛みしめる一方で、本当に核兵器をなくすために必要なことを考えるようになりました。まずは、自分の国をどう変えていくのかということです。ヒロシマ・ナガサキという経験を持った日本が核兵器禁止条約に反対しているようでは、批准国が50カ国を超え核兵器禁止条約が発効したとしても手放しでは喜ぶことができません。
負の歴史を世界の教訓として刻んでいくために、どのような立場であるべきかということを考えたいと思うようになりました。
それは、歴史認識という側面からもです。
証言会を初めて行った寄港地であるシンガポールと、最後の寄港地ハワイでまさにその課題に直面しました。
また、船内の南京大虐殺を取り扱った企画でも、「自分自身がどのような立場から、何を、どんな平和を語るのか」ということを問われました。
「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」と「リメンバーパールハーバー」をお互いに叫び合っているだけでは平行線です。
空民子さんがハワイ大学で証言を行った際、冒頭で真珠湾攻撃について謝罪し、その後ハワイの女性がアメリカの原爆投下について謝罪したあの光景とその場の空気感を忘れることができません。
人と人として出会い、お互いの歴史に触れるからこそ生まれる理解や共感があると自分の肌をもって知ることができました。
「人の可能性を信じたい」、そんな風に思える出会いが本当に多くありました。
第99回クルーズを一言で形容することはとても難しいです。
説明しようとすればするほど想いや光景、思い出、出会った人々が思い浮かびます。
108日間一緒に旅をし、おりづるプロジェクトを支えてくださったおりづるパートナーやおりづるピースガイドの皆さんには感謝してもしきれません。4人で始まったおりづるプロジェクトは、いつのまにか50人を超えるファミリーのような場所になっていました。これからもみなさんと核兵器やこれからの社会について考え続けていければと思います。
さて、第99回クルーズと通し私のブログにお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
またいつか何かしらの形でおりづるプロジェクトに関われることを願って。
おりづるユース・安藤真子
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