12月15日、国連軍縮部と軍縮のためのユースと共催で7回目のオンライン証言会が行われ、米国、オーストラリア、チリ、サウジアラビア、スペイン、アイルランド、韓国、日本から85名が参加しました。
国連軍縮部および軍縮に興味のある若者との共催
今回はピースボートと長年様々な活動を行う国連軍縮部および軍縮に興味のある若者のグループ(軍縮のためのユース)との共催という形で、ニューヨークを中心とする世界の若者に向けてオンライン証言会が行われました。
ピースボートスタッフによる開会の挨拶および証言会の簡単な説明のあと、ルネ・ホルバック国連軍縮部プログラム・オフィサーよりご挨拶をいただきました。ホルバック氏は被爆者の証言が現在の核軍縮に貢献していることに触れ、時間が許すうちに彼らの体験に耳を傾ける重要さを説きました。
服部さんの証言
今回証言をしてくださったのは広島で被爆した現在埼玉県在住の服部道子さん。現在91歳になられる服部さんは女学校を繰り上げ卒業し、看護婦として軍に勤務していた時に被爆しました。辛い過去を語る部分では少し声を震わせながらも、最後まで自分のあの日の記憶そしてその後の生活についてしっかりとした語り口でお話くださった服部さん。「何度も死のうと思ったが結婚もでき子にも恵まれ、孫やひ孫に囲まれ91歳まで生かされた今が一番幸せです。沢山の人が亡くなった中で私は91まで生かされた。2度とあの悲惨な光景を繰り返さないために、被爆の記憶継承活動を続けることが私の使命だと思っている。」とおっしゃる姿にアメリカをはじめ世界各国から参加した80余名の若者たちからは多くの質問や感謝のコメントが寄せられました。
ピースボート乗船 そして核兵器禁止条約への思い
所属する被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の仲間からピースボートのことを聞き乗船が決まったのが85歳の時。被爆者の中で最年長だった服部さんはシンガポールで最初の証言を行いました。「シンガポールの歴史について何も知らなかったので学んだところ、日本が犯した戦争の罪を改めて認識した。現地の方に対して日本が犯した罪について謝罪することが必要だと思った。それからは原爆の凄惨さを語る前に最初に日本が戦争で犯した過ちについて謝罪してから証言をするようになった。」と語りました。ピースボート乗船により日本から世界へとその視点を広げることになり、被害の記憶だけではなく加害の歴史についても知識を広めるきっかけになりました。
また核兵器禁止条約については「来月発効することは本当に嬉しいですが、日本が署名も批准もしていないことがとにかく残念です。」と述べました。
最後に「あと何年生きられるかわからないけれど、命の大切さ、核兵器の恐ろしさを世界にアピールしていくことが被爆者に課せられたさだめ。今日、こうやって多くの方が話を聞いてくれて、励まされます。このような機会があれば、まだ語っていきたいます。」と述べてお話を終えました。
世界の若者との交流
服部さんの証言会には世界各国から若者が参加し、話に耳を傾けました。証言の後の質疑応答の時間には、ユースを代表して質疑応答をファシリテートしたスーイン・ルーは、「証言は衝撃的であったものの、核兵器をなくすための活動の背中を押すものだった」として服部さんに感謝しました。それに続き、「核兵器禁止条約は服部さんにとってどんな意味があるのか」「どのような身体的影響があったのか」「女性被爆者として特別にうけた差別などはあったか」「証言を始めるきっかけはなんだったのか」「特別に記憶に残る証言活動の思い出はあるか」「若者に何ができるのか」など活発に質問が寄せられ、通訳を通して服部さんはひとつひとつ丁寧にお返事されました。
2021年までに100の証言会
ピースボートはこれまで広島・長崎の被爆者の皆さんと共に証言の航海をしてきました。コロナで船が出せない今、オンラインで世界に向けた被爆証言会を行っていきます。世界190の国と地域で被爆証言会を実施することを目標としております。まずは2021年末までに100か国で実施します。ご注目、ご支援をお願いします。
<国連軍縮部のホームページ(英語)>
証言会の映像:https://front.un-arm.org/videos/20201215_EverySecondCounts_UNODA.mp4
文:ピースボート ロバートソン石井りこ
編集:渡辺里香