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「汝の敵を愛すこと」なんて無理と思いました ~伊藤正雄さんガーナの人々に

8月31日に40回目となる証言会がガーナのFOSDA(Foundation for Security and Development in Africa)のテオドラ・ウィリアムス(Theodora Williams)さん主催で行われました。当日は約14名が参加しました。今回、証言してくださったのは、1941年生まれ、当時4歳6ヶ月で被爆を体験した伊藤正雄さんです。

テオドラ・ウィリアムスさん

1945年8月6日の出来事

「1945年8月6日、広島の街で何が起こったのでしょうか。8時15分、朝早いうち、ピカ、どどーんと2つ目の太陽が広島の街に現れました。やがて、2つ目の太陽はもくもくとした雲の柱になり、瞬く間に広島の街は焼け野原、廃墟となりました」という言葉から証言会が始まりました。
正雄さんは爆心地から3.2キロメートル離れた郊外に住んでいたため、家が焼けるといった被害にあうことはありませんでしたが、爆風により数メートル吹き飛ばされ、家中の窓ガラスが割れたそうです。また、正雄さんの住んでいた地区は黒い雨がたくさん降った地域でもありました。

正雄さんには、2人の兄姉がいました。当時、12歳の兄は爆心地近くの学校に登校しており、10歳の姉は爆心地近くの母親の実家にいました。お父様は救助に向かい、全身に火傷をし傷ついたお兄さんを連れて帰ることができました。しかし、お姉さんは見つからなかったそうです。やっとの思いで帰宅したお兄さんも20日ほど過ぎた8月29日に亡くなりました。

当時は8月の暑い時期だったため、遺体は1日で腐敗が始まります。異臭は我慢ができる匂いではありませんでした。亡くなった方を空き地に集め、10人ほど重ねて石油をかけて火葬していたそうです。「その時の光景は、幼かった私の目にも焼き付き、匂いもはっきりと覚えています。普段は忘れていますけれども、こうしてお話する時にはその時の光景が蘇ってきます」とおっしゃっていました。
兄姉の死、そして遺体の腐敗した匂いや街の惨状など、当時4歳の正雄さんの見た光景は想像を絶するものだったと証言を聞く中で実感しました。

自身の病と聖書との出会い

正雄さんが中学生の時にさらに辛い出来事が訪れました。それはお父様の病気です。被爆の後障害と言われている原爆ぶらぶら病にかかってしまったのです。
正雄さんは、家業を手伝いながら学生生活を送っていましたが、甲斐なく倒産してしまいました。そのため、夜逃げをしなければならなくなり、働くためにも高校を中退しました。やがて、朝早くから夜遅くまで働くという生活を繰り返す中で、正雄さん自身が結核に倒れてしまったのです。
しかし、正雄さんは当時の入院生活を「今までの生活と比べると天国のようでした」と語っていました。それは、入院前とは異なり、ゆっくりと眠り、たくさん食べることができたからです。それでも、同級生たちがスキーやキャンプなど楽しそうな生活をしている姿を見るのは精神的には辛い日々だったそうです。
そんな境遇の中で、正雄さんを支えていたのは本を読むことでした。アメリカのある団体が送ってくれた結核の特効薬と一緒に、一冊の本が入っていました。それが聖書でした。
開くとそこには、「汝の敵を愛せよ」とありました。それを見た正雄さんは、思わず聖書を壁に投げつけました。なぜなら「汝の敵」というのは正雄さんにとってはアメリカであり、「原爆を落としたアメリカを愛せよとは何か」と怒りを感じたからです。
一方で、アメリカの薬のおかげで1年後には無事に退院することができました。しかし帰る家はありません。そこで親戚の家にしばらく身を寄せることとなりました。
その家の近所には小さな教会がありました。かつて、聖書を投げつけた正雄さんですが、自然と足が教会に向かっていたそうです。そして、半年後の当時17歳で洗礼を受けることになりました。それ以来教会生活を続けているそうです。

広島平和資料館でのガイドの経験

正雄さんは定年後、牧師さんの提案により広島平和資料館でのボランティアガイドを行なっていました。その活動の中であるアメリカ兵と出会います。正雄さんは、「アメリカ兵たちも最初は興味本位で資料館を訪ねてきたわけですけれども、帰る時には『我が祖国がこんな酷いことをしたのか』と言って涙を流す青年と出会いました」とおっしゃっていました。
その時、正雄さんは「原爆を落とした国、アメリカは憎いけれど、アメリカの中にもこんなに心優しい人もいるのか」と知ったそうです。それ以来、「多くのお友達を作ることが、戦争を回避することになる」と考えています。

伊藤さんは、資料館を訪れる外国の方々を案内しています。

私は、10代の時に出会った聖書が広島平和資料館での活動を繋げたように感じました。資料館での活動も、見学に来た外国人の方に核廃絶を求める署名をしてもらい、おりづるをプレゼントすることに力を入れているとおっしゃっていた正雄さん。一人一人と向き合い、知ること、繋がることは、この世界から戦争や争いごとをなくす一つのきっかけになるのではないかと思います。

証言会を通して

証言会の後には質問をする機会がありました。様々な質問が寄せられ、主催者であるテオドラさんは「日本が核兵器禁止条約に批准をしていないことについて、正雄さんのご意見はどのようなものでしょうか?」という質問をしていました。
正雄さんは、「日本の政府は、アメリカの軍事力に頼っている関係で、アメリカの意向に左右されてなかなか批准をする方向に向いていません。非常に残念なことですが、アメリカの核の傘の中にあると言いながら核兵器禁止条約は批准をして、そしてそれを元にアメリカやその他の核兵器を持っている国に対して、なくすようにという説得をしてもらうのが、日本政府にとっても活動しやすいのではないかと思っています。早く日本政府が批准をしてくれることを望んでいます」とおっしゃっていました。

正雄さんがおっしゃっていたように、日本が核兵器禁止条約に批准をしていないのには政治も関係しており難しい問題なのかもしれません。ですが、日本が唯一の被爆国であるということを政府も私たちも決して忘れてはいけませんし、未来のためにも伝えていくべきことです。日本が批准をするということは大きな一歩であるということを考える必要があると思います。そして、私は自分にできることとして、これからも被爆者の声を1人でも多くの人に伝えていきたいと改めて強く感じました。

最後に、正雄さんは「コロナが落ち着いたらぜひ広島に来てください」と、参加者の方に語りかけていました。正雄さんの優しい笑顔にとても心が温かくなりました。

ガーナと日本の企画者たち(一番上右端が石倉)

文:石倉美宝
編集:渡辺里香

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