7.おりづるプロジェクト・オンライン

キルギス、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、カナダの若者とともに

2021年10月7日 45回目のピースボート被爆者証言会。

今回の証言者は広島在住の被爆2世で、被爆体験の伝承者として活躍する東野真理子さん。真理子さんの母、祖母、そしてご自身の非核に関する活動などを交えての3代にわたる被爆経験を述べて下さりました。

お母さん(竹岡智佐さん)の視点から話す東野真里子さん

 

18名の参加者はキルギスにキャンパスを持つ中央アジア大学の生徒たち。ご多分にもれず長期的なロックダウンのため、参加者はキルギスはもちろん、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、カナダなどからそれぞれの時差を計算しつつ、日本時間午後12時からのセッションに参加。主催者は同大学で教鞭を執る現ニュージーランド在住のエレナ・コレソバ教授。

主催者で、ニュージーランド在住のエレーナ・コレソバ教授

 

1944年に女学校を卒業した、竹岡智佐子(真理子の母)は17歳の時に学徒動員で人間地雷組み立て工場で働き始めた。国策とは言え、嫌々での労働奉仕。8月6日は作業が休みのため、友人と宮島に行く約束をしていた。さあ出よう、という時に爆心地から3キロの自宅で被爆。閃光で目が眩み、気を失う。気がついた時には、30メートルも離れた畑に吹き飛ばされていた。頭からは血が噴き出ていた。傷ついた足を引きずり表通りに出ると、黒焦げの人たちの行列が目に入る。手の皮膚が指先から垂れ下っている人。「熱い、熱い」、「喉が痛い」、「息が苦しい」と叫ぶ人、水を求める人、阿鼻叫喚。急にあたりが暗くなり黒い雨が降ってきた。皮膚が染まるほどのドロドロした雨だった。後にこの雨には放射能が大量に含まれていたことがわかった。

その後、智佐子は当時陸軍病院で看護婦として勤務していた母(国貞リョウ)を探しに町を歩き回る。途中で見た川の水面は死体で埋め尽くされている。一人一人の遺体をかき分け、母の姿を探すが見つからない。翌日は小学校の校庭で死体を運ぶ手伝いに駆り出される。校庭には2000体以上が埋められた、と聞く。原爆投下後から数日してドブネズミがまだ埋葬されていた遺体を食べているのも目にした。智佐子は頭痛を覚え、吐き気に苦しみ、体中に紫色の斑点が出て、髪の毛も束になって抜け落ちた。6日後救護所にいた母をようやく見つけることができた。爆心地から1.8キロの地点で被爆した母は、右目が飛び出し、体の右半分は火傷で真っ黒、左半分は細かいガラスが体に突き刺さり、しかもハエとウジがわいているという無残な姿。避難所から遠い所に医者がいると聞き、苦労して母を連れて行くも、いたのは獣医が一人。他の医師たち耳や口から出血して死亡してしまったと伝えられる。その獣医はケガをした眼はそのままに放置すると腐敗してしまうと、麻酔もないまま躊躇する母の目を摘出。その時の叫び声が耳に残る。翌朝やっとの思いで自宅に連れて帰るも、薬も食べ物もなく、母は苦しみ続け、一命を取り止めたものの、まさに生き地獄だった。原爆は当時35万人だった広島市の人口の約半分をその年の暮までに奪ってしまった。

原爆は他の武器と違い、長い年月人間の体に影響を及ぼす。その影響は心にも及んでしまう。1947年に智佐子は結婚をし、子供を授るが、その子は生後18日にして体中に紫の斑点が出て、死亡してしまう。放射線の影響だ。幸い、その後生まれた男児、女児は無事に育ち、その女の子が真理子だった。放射線の影響がどうなるかとは、証明されてはいないものの、被爆二世としてはどういう影響が出るかわからず、常に不安を抱えて過している。

祖母は右目を摘出しているために半眼しか見えず、外出する時はいつも真理子は、祖母の右手をつないで出掛けた。祖母は暑い時でも火傷の後が見えないようにと長袖の洋服を着ていた。ケロイドになった皮膚はずきずきすると、ずっと言っていた。ある日原爆の話をし始めたが、その記憶の糸を辿るうちに、昔の恐怖が浮かんできたのか、急に泣き出してしまった。それ以後、彼女には「ピカドン」の事を聞くのは憚られた。祖母は入退院を繰り返し、1967年に胃がんで他界した。

真理子さんの平和への活動。

真理子自身は2016年のピースボートの被爆体験証言の旅に参加した。彼女、母、祖母の被爆体験をオランダの国会議員の前で語った時に、そのうちの一人の議員が、「10歳の時に広島の平和祈念館に訪れた時の衝撃を思い出しました。平和への大切さ、核兵器の怖さを忘れていた自分に気付くことができました。核兵器禁止条約へ尽力したい」と、非核への思いを語ってくれた。NATOに属しているオランダは、アメリカの核の傘にいたので、国連での核拡散禁止条約採決では棄権してしまった。しかし、真理子の証言はその後のオランダ国会での非核方針に大きな影響を与えた、とメディアでも大きく取り上げられた。その後、オランダは「被爆者の苦しみ」にも言及した非核への動きに大きな一歩を歩むようになった。

声をかけてくれたオランダの国会議員(一番右)

 

「戦争をしてはいけない。核兵器を使っていけない。平和だけが本当の平和を人類にもたらすことができる。人間は自然の力には勝てませんが、戦争は人間と人間が引き起こす。だから、人間が防ぐことができます。話し合い、教育が大切です。」

「まだ13000発以上核弾頭が存在する現在、そのどれをとっても広島、長崎に投下されたものより破壊力のあるものばかりです。3発目の投下があってはならない。世界平和は遠くにあるものではなく、私たちの心が創っていくもの。自分は何をすればいいのかを考えて欲しい。私はきょう皆さんに平和の種を植える思いでお話をしました。その種を皆さんが育てて、美しい花を咲かせてください。核兵器のない平和な世界を作る流れを作るために一緒に流れを作っていきましょう」と結んで、証言を終了した。

質疑応答になると、しばしの沈黙が続き、このまま散会となるのかと思ってしまった。しかし参加者たちは真理子さんの報告後の刺激を反芻する時間が必要だったようで、質問がチャットボックスにあふれ出し、最後は全てを網羅することも出来ないぐらいだった。

その中、走りを切ったのがコレソバ教授。涙目で真理子さんの勇気ある証言に感謝の言葉を述べた後に、外国人に対しての証言と日本人への証言の違いを尋ねた。

A:日本人の時には主に対面での証言が多いので、聞く方の表情、反応がすぐわかりますが、オンラインではそれがちょっと難しいです。でも、どの国の人でも平和と戦争への思いは語ってくれます。

 

Q:個人として核兵器完全排除をするにはどうしたらいいのでしょうか?

A:もちろん難しい面もあります。もし核兵器について直接働きかけをしたかったら、平和団体等に属することができます。個人としてですと、もっと身近なところから考えましょう。今日の証言会の印象を他の人に伝え、少しでも聞いてもらえるようにして動く事です。

 

Q:1945年に広島と長崎に原爆が投下されてから、実際の紛争でそれ以降核兵器は使用されていないのに、被爆者の証言がどのように核兵器廃絶に貢献しているのでしょうか?

A:貢献はできます。これまで核兵器の事を知らなった人たちに核の被害を知ってもらうことができました。広島、長崎以外でも世界中に核実験の被害を受けている人はいます。例えば2017年にはICANがノーベル平和賞受賞の際にオスロに行った際に、カザフスタンからの核実験の被爆2世の人が、「被害について知らない人が世界中にはまだ沢山いる。核の人道的な被害をもっと世界の人に知らせる必要がある」と言っていました。

カザフスタン核実験の被害者

 

それに、広島、長崎への原爆投下に使われた爆撃機B29に搭乗していた人のお孫さんのアリ・ビーザ―さんにお会いした時に、彼は「アメリカ人が憎いか?」と私の母に聞きました。彼女は「被爆当時は憎い、と当然思いましたが、その後、世界中の人間に同じ体験をして欲しくないから、こういうことを理解してもらいたい」と話しました。

アリ・ビーザーさん(左)とクリフトン・ダニエルさん(右)

それに、原爆投下を指令した当時のアメリカ大統領のトルーマンのお孫さんのクリフトン・ダニエルさんに会った際に、「あなたはアメリカ人を許せますか」と聞かれました。「戦争は人の問題ではないです。日本だって、戦時中アジア諸国で加害者としてしたことがあります。これは人を憎む、ということではなく、戦争をしてはいけない、と言うことです。」それ以来ビーザ―さんもクリフトンさんもいいお友達です。

 

Q:2016年に歴代のアメリカ大統領として初めてオバマ氏が広島を訪れ、慰霊碑に参拝しましたが、彼は陳謝の言葉を発しませんでしたが、それにはがっかりなさいましたか?

A: 現役の大統領として広島に訪れたのは大変うれしい事です。それに対して感謝をし、彼は勇気があると思います。彼が謝れなかったのは、やはり立場上できなかった事だと思います。でも個人として記念碑の前に立ち黙とうなさったのは、お気持ちがあったのだと思います。

事前の情報で、生徒たちの中には自身、自国での内乱、国境問題や現在も紛争が続く地域での戦禍を体験した人もいるとのことで、被爆者証言を聞く事からの精神的トラウマがあるのを恐れてはいたが、かえってその体験が証言をもっと身近なものとして捉えてくれたような印象を受けた。私自身被爆二世として真理子さん同様に、被爆の影響がどういう形で出て来るかわからない、と不安を感じることがある。ただ、真理子さんのように実母から直接彼女の体験を聞くことは出来なかった。彼女のおばあさん同様、私の母は自身の被爆体験を語ることさえトラウマだったようだ。だからこそこうして、証言者の話を聞き、伝承することは、必要だと強く感じている。

 

文:金澤むつみ(広島被爆2世)

編集:渡辺里香

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