7.おりづるプロジェクト・オンライン

被爆者の記憶から学び、オーストラリアや日本が批准するよう声をあげましょう!

2021年4月9日(金) 第18回目のオンライン被爆者証言会は、オーストラリアのニューイングランド大学と開催しました。主催のグウィン・マクレランド教授ほか、オーストラリアの学生や教授が約110名が参加しました。

今回の証言会は第一部:田中煕巳さんの証言、第二部:グウィン教授の研究紹介、第三部:田中さんへの質疑応答で行われました。

まさに地獄の有様でした

日本原水爆被害者団体協議会代表委員 田中煕巳さんが、長崎での被爆経験を証言して下さいました。

被団協のバナーを後ろに、自身の経験を話す田中さん

「爆心地から3.2キロの自宅 2階で被爆しました。突然白い閃光に包まれ驚愕し、階下に駆け下り床に伏せたとたんに気を失いました。私の名を叫ぶ母の声で我に返ると、覆い被さった大きなガラス戸の下敷きになっていました。ガラスが割れておらず、奇跡的に無傷で助かりました。

5人の身内の命が一挙に奪われました。父方の伯母と 大学生のいとこは自宅の焼け跡に焼き死体で転がっていました。祖父は骨まで見えるほどの大火傷で瀕死の状態でした。その傍らで3日間生きながらえた母方の伯母の遺体を焼いて弔いました。軽症だった伯父も10日を経ずして高熱に苦しみ亡くなりました。

爆心地から2キロ内地帯の惨状は脳裏を離れません。救援や遺体の収容が滞っており、数百に及ぶ遺体が散乱し、重症のまま放置されている被爆者が至るところにいました。まさに地獄の有様でした。原爆投下直後は、地獄もこれほどではあるまいと思わせる惨状だったでしょう。これを語れる人は生きていません。」

核兵器の非人道性に向き合って下さい

田中さんはより語気を強めて続けました。「惨状の一端を語ることができるのは、被爆者の証言と描いた絵です。想像力を発揮し、被爆者の証言や絵から核兵器の非人道性に向き合って下さい。人間が行った行為の結果であることを考えて下さい。

核兵器は絶対に使われてはなりません。国家存亡の危機にあっても、核兵器の使用で国の安全を保つことなどできません。使用を前提とした核兵器の存在を容認することは人道に反しています。

今日の世界は国境を越えて新型ウィルスの脅威や環境破壊による地球温暖化、気象変動による災害の危機に晒されています。一国の安全や利益にこだわるのではなく、人類が結束してこれらの難関を乗り越えていかなければなりません。

2017年 国連で「核兵器禁止条約」が採択されました。被爆者たちの75年間に及ぶ願いと行動がついに実を結びました。しかしながら、核保有国とその核の傘に自国の安全保障を委ねている同盟国はこの条約に批准していません。すべての国がこの条約に賛成し、批准するために力を合わせていきましょう。人類存亡にとって核兵器の存在がいかに危機的であるかを知り、行動していきましょう。核兵器のない地球を作り上げていきましょう。」

語られなったカトリック信者の被爆体験

口述歴史の歴史研究者であるグウィン教授は、長崎の被爆者にインタビューし調査を書籍にまとめています。そのような経緯からお話をして頂きました。

長崎での被爆者との出会いと研究について(グウィン教授)

「オーストラリア人の私は、なぜ長崎の研究をしているのか?よく知られた広島ではなく長崎を取り上げているのか?と聞かれます。理由は、長崎のカトリック信者の被爆体験が世に、特に海外で知られていないことに気付いたからです。

原爆投下により爆心地周辺に住んでいたカトリック信者12,000名のうち、8,500名が亡くなりました。私はこのカトリック信者の主張を「危険な記憶」と呼んでいます。彼らの主張はアメリカにとっても、日本にとっても「危険」(不都合)であるからです。

アメリカは「日本の他国侵略は 野蛮で非人道的であり、打ち負かすためには強力で爆発的な新型爆弾が必要であった」という主張のもと核兵器の使用を正当化しました。この主張をする時、無警告に市民や女性、子ども、司祭、貧しい教区民、神を信じる人々を爆撃したという事実は不都合でした。

こうして「軍国主義」の危険性や、「安全のため」に罪のない人々を犠牲にする危険性を訴えるカトリック信者、そして強制労働のために朝鮮や台湾から日本に連れてこられた農民や部落民の声は広く世に、特に海外に届くことはありませんでした。」

核兵器のない世界を目指して

グウィン教授は続けました。「9人のカトリック信者を含む、12人の被爆者にインタビューしました。部外者が被爆者にインタビューを行うこと、研究テーマとして「トラウマ」を扱うことは容易ではありません。古傷を何度も触りにいっているような感覚にも思えました。このまま放っておいたほうが良かったのではと自問自答することもありました。

被爆者はそれぞれ、原爆投下の前・その時・被爆後に 全く異なる人生を経験しています。さらにその経験がトラウマとなり、記憶は分裂し、壊れ、変化します。複雑な原爆の記憶を客観的に歴史に書き留めることは非常に困難です。

惨劇を繰り返さないために、被爆者は心に残る痛みを思い出しながら語ってくださいます。私は被爆者の話に引き込まれ、インタビューする者としての客観的な立場でいられなくなりました。被爆者との交流によって、記憶の変化を部外者として観察するだけでなく、ある意味で 証言者(語り部)になることができるとわかりました。

2017年に採択された核兵器禁止条約に、オーストラリアと日本は批准していません。私たちは被爆者の記憶から学び 悲惨な事実を受け止め、オーストラリアや日本が批准するよう声をあげなければなりません。非人道的な核兵器の存在を許してはいけません。」

 

田中さんとグウィン教授のお話を受けて、オーストラリアの学生や教授から多くの質問が寄せられました。

被爆後どのようなケアを受けましたか?

当時、広島・長崎のすべての人が大変な状況にありました。傷ついた相手を助けることのできる健康な人や病院はありませんでした。また戦争禍にあって国民全員が厳しい状況にありました。声を上げて被害を訴えることや国からケアを受けることはできませんでした。広島・長崎にいる人同士でひそかにいたわりあい、励ましあうことしかできませんでした。

どのように生活を立て直しましたか?

私は13歳で被爆し、30代の母と4人の兄弟と生活しました。満足に食事がとれない非常に貧しい生活をしていました。2~3日間何も食べられないことが何年も続きました。なんとか生きよう、学ぼうという強い意思の力で行動しました。高校卒業後5年間働き、自分の稼いだお金で大学に進学しました。卒業後は自分よりつらい体験をした被爆者を助ける仕事をしました。

証言活動を始めたきっかけは?

身内5人を失った苦しみは計り知れないものの、物理的に無傷だった私は証言を控えていました。よりつらい体験をした方の支援に徹し、被爆後10~20年は証言をしませんでした。ある時支援をしていた人々に自身の経験を語ったところ「田中さんにもそんな苦しみがあったのか」と周囲から驚かれました。口を閉ざしたままでは伝わらないと考えたことがきっかけで証言を始めました。

若い世代にどのような行動を求めますか?

まずは知識よりも感情・感性で理解してほしいです。知識(爆弾はどんな威力か、何人亡くなったか)よりも、感性(どんな苦しみがあったか、どういう殺され方をしたか)で想像して、感じて、理解してほしいです。無警告に突然大勢の人の命が奪われたという事実を知ってほしいです。一人でも多くの体験者の話を聞いて、描いた絵を見て、感じてほしいと思います。

田中さんからの参加者へメッセージ

貧しく苦しい時期も、なんとか生きよう、勉強しようという意思の力で行動しました。何かしたいと思ったら強い意思を持ち、行動し、それを人に共有しましょう。私の人生はつらいことも多かったですが、とても楽しいです。(田中さん、力強くほほ笑みながら)

証言会に参加して

証言会は「平和」を考える大きなきっかけになりました。答えのない大きなテーマだとしても、向き合い・考えることが重要だと気付きました。参加できて大変光栄に思います。プロジェクトを通じて、一人でも多くの人と考える場を共有したいと思います。

一部の参加者と。中には長年ICANオーストラリアに関わっている方も。

ウェブ報告書@オーストラリア ニューイングランド大学

https://www.une.edu.au/about-une/faculty-of-humanities-arts-social-sciences-and-education/hass/humanities-arts-and-social-sciences-research/une-asia-pacific-centre

証言会の映像アーカイブ(英語/田中さんの発言部分のみ日本語から英語の逐次通訳つき):

https://www.youtube.com/watch?v=xpyMU9t-W5M

文・安西智
編集・渡辺里香

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