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オランダの国会議員に向けて被爆体験を語った時、「心こそ大切」との強い思い

朝と夜、2回の証言会が行われた4月15日、夜の会は第23回証言会としてオランダのライデン大学の皆さんとともに開催されました。
今回は広島の被爆二世である東野真里子さんによる証言に、熱心な学生たち25名が耳を傾けました。
1952年に生まれた真里子さんは被爆体験伝承者として、真里子さんのお母さん・智佐子さんと、お祖母さんの被爆体験を語ってくださりました。

投下後に見た広島、それは生き地獄だった。

― そのとき、ピカッ!と光り、ドーン!と大きな音がした。
当時17歳だった智佐子はその日、友達との待ち合わせ場所に向かうため、家の玄関を出ようとする瞬間だった。
気を失い、気が付くと家の裏から30メートル先の畑まで飛ばされていた。
必死に立ち上がり家から表通りに出てみると、
真っ黒に焦げた人、
髪の毛が逆立っている人、
大やけどを負って腕の皮が手の先にぶら下がったままの人たちの姿が・・・
水を飲ませてあげても、次々と息絶えていく。―

真里子さんの描写はとても細かく、母・智佐子さんがその当時感じた恐怖や光景が目に浮かぶようでした。

― 6日目にやっと見つけた智佐子の母の体にはハエやウジ虫がたかり、右目ははじけ飛んでぶら下がっていた。
麻酔なしの手術に叫び声を上げ、暴れながら手術を受けた智佐子の母。
智佐子はその声を聞きながら、これこそ生き地獄だと思った。―

心こそ大切

2016年、ピースボート主催の「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加した真里子さん。オランダの国会議員に向けて被爆体験を語ったとき、ある女性議員の方より涙を流しながらこう言われたそうです。
「私は父親に連れられて、10歳の時に広島平和記念資料館に言ったことがある。展示を見て核は怖い、戦争をしてはいけないと、ものすごく恐怖を覚えたことを忘れていた。これからは核兵器禁止条約への尽力をします。」と。

世界平和はどこか遠いところにあるのではなく、どんな立場であれ私たち一人一人の心が創っていくもので、“心こそ大切”だということ。この経験から真理子さんが心に強く感じたことを教えてくださりました。

「今日は皆さんの心に『平和の種』を植えさせていただきました。この種を大切に育てて、大きくきれいな『平和の花』を咲かせてください。」
証言会の最後に真里子さんから託されたメッセージ。私たちはこのメッセージとともにもらったバトンをしっかりとにぎりしめ、自分たちに出来ることを考えていきたいと、改めて強く思いました。

平和の花を咲かせよう

証言会の後にはQ&Aセッションが行われました。

終始素敵な笑顔の、東野真里子さん

原爆投下により、広島のコミュニティにおける人々の絆は日本の他の地域と比べてより強くなりましたか?
参加者の一人、マティアスさんからの問いに対し、
「戦後はみんなで復興に努力したし、不幸から立ち上がろうとする強い気持ちは今でもあります。」と真里子さん。その例として、戦後に野球を通して平和を築こうという思いで作られた球団「広島カープ」を、今でも市民を上げて応援していることをお話しされました。

そして、今回主催してくれた、ライデン大学のイサ・ベゲマンさんからは、次のような質問が。
被爆者の方が被爆者以外の方と結婚したいとき、遺伝的な異常が受け継がれるのではないかという不安で結婚を拒まれたり差別を受けたりという経験は身近にありましたか?
真里子さんは、
「そのような差別や心痛を経験した人は大勢います。」と答えた後、
「被爆者でない主人と結婚するとき、私は被爆二世ですがそれでもいいのですか?と尋ねましたが、主人は「そんなことは関係ないよ。」と言ってくれました。」と、真里子さんご自身の経験を笑顔で話してくれました。

最後に、B29の戦闘機に乗っていたジェイコブ・ビーザーさんのお孫さん(アリ・ビーザーさん)とお話しされた際のエピソードをシェアしてくださいました。
彼が真里子さんに問いかけた質問は、
「原爆を落としたアメリカを今でも憎いと思いますか?」

「当時の被爆者の人たちは、アメリカを憎いと思ったでしょう。
でも、今はアメリカを憎いと思っている人はいません。

原爆を二度と落とさないでほしい、
自分たちのように人間としてみじめな思いを、世界中の誰にも二度としてほしくない、
という思いで生きています。
どこの国が悪いという問題ではなく、この地球上に核があること自体が「悪」です。
1945年に広島と長崎に落とされたものよりもずっと大きな威力を持った原子爆弾が1発落とされるだけでも地球は破滅してしまう。
だから、核のない世界をつくるために、被爆者みんな尽力しているのですよ。」
と、彼の問いに答えた真里子さん。
そしてこれからも一緒に平和活動をしていこうと、話を進めることが出来たそうです。

真里子さんのお話からは、真里子さんがこれまで世界の人々と「対話」によって、そしてそこから生まれた人とのつながりによって、一歩ずつ一歩ずつ、しかし同時に確固たる平和を築いてこられたことが感じられました。

「戦争は人間と人間が引き起こすものです。だから、人間が防ぐことができる。どんなことでも話し合いで平和が築ける。」
だからこそ真里子さんのこの言葉にはとても力があり、私たちの心に強く響きました。

終始素敵な笑顔で、お母さんの智佐子さんやお祖母さんの被爆体験、そしてご自身の平和への思いを私たちに語りかけてくださった真里子さん。被爆二世の真里子さんが、こうして私たち若い世代に語り継いでくださっていることに感謝の気持ちが溢れます。
私たちも真里子さんのように、今回参加してくださったオランダ・ライデン大学の皆さんとのつながりを大切に、私たちに出来ることをかたちにしていきながら世界中に「平和の花」を咲かせたいと思います。

最後にみんなで作った折り鶴と一緒に

ピースボートUSのウェブサイト(英語):https://peaceboatusoffice.wordpress.com/2021/04/23/every-second-counts-for-the-survivors-virtual-testimony-sessions-featuring-guests-junko-watanabe-and-mariko-higashino-from-hiroshima/

文:高尾桃子
編集:渡辺里香

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