7.おりづるプロジェクト・オンライン

アルゼンチンで皆さんと語り合いたい。長崎、広島で亡くなった人たちの魂にも触れてほしい。

第19回目の証言会は、4月12日アルゼンチンのNGO、Our Voice Movementとの開催でした。アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ、そしてイタリアより、115人の方たちが参加しました。

今回被爆証言をしてくださったのは、1939年に長崎で生まれ5歳の時に被爆された宮田隆さん。

「広島・長崎に世界で初めて原子爆弾が落下されて75年。今こうして世界平和の実現に向けてオンラインで体験を語り、平和を求めるアルゼンチンの皆さまと交流できることを嬉しく思います。」と、流暢なスペイン語を交えながら、元気で力強い宮田さんのあいさつで証言会がスタートしました。(商社にお勤め時代にスペイン語圏に駐在されていたとのことです。)

無実の市民を虐殺するホロコースト

7万人の命が一瞬にして亡くなった、1945年8月9日の長崎―。
夏空が広がるその日、宮田さんはお母さんに連れられて街のデパ―トに出かけました。帰る途中、買い忘れたものがあると言って引き返そうとしたお母さんを宮田さんは、「早く家に帰ろう!」と泣きじゃくり、お母さんの着物の袖を引きながら家に戻りました。空襲警報の不気味なサイレンや飛行機の音に、当時5歳だった宮田さんはいつも怯えていたのだそうです。

その日の午前11時2分に投下された原爆。
爆心地となった浦上天主堂は全壊し、カトリック信者約8千人が即死しました。しかし、実際の投下目標地はそこから3.8㎞離れた長崎市内の繁華街だったので、これは米軍にとって大誤算でした。

「カトリック信者であってもなくても、当初の目標地が長崎市内の繁華街であったということは、無実の市民を無差別大量虐殺するホロコーストだったのです。」それを経験した宮田さんの強い憤りが伝わりました。

紙芝居「ノーモアヒバクシャ 山口仙二さんの叫び」より

強い感情の後、穏やかな表情になった宮田さんの言葉には希望がありました。「世界中に核兵器が約13,000発、そして原発の放射性廃棄物が存在する今、核兵器を禁止する国際法が今年の1月に発効したことには大きな意味があります。アルゼンチンと日本も手をつなぎ、命を奪う戦争や飢餓、格差、差別、自然災害のない世界をともに実現しましょう!」
平和を築くための国を越えた協調や繋がりをさらに強めていきたいと、とても勇気づけられました。

過去ではなく現代の問題

宮田さんの証言の後、主催者の一人であるマティアスさんは次のような思いを共有してくれました。

マティアス・グファンティさん

「過去のこととしてではなく、現代の問題として受け止めました。私たちは被爆者から直接証言を聞ける最後の世代だと思うので、貴重なお話を聞けてとても感激しました。自分たち若者が一緒になって、これからも活動を続けていきたい。」

そして、他の参加者からはこんな頼もしいコメントも。

映像に収めて声をあげると約束した、ジョルジオ・ボンジョバンニさん

「とても心動かされました。核問題は世界で最大の問題です。いつか日本を訪問し、宮田さんたち被爆者の証言を映像に収め、そしてメディアや団体に対して声を上げていくことをここでお約束します。」

第三次の戦争が起きると、再び原爆が落とされる可能性があると思うか、という問いには
「20世紀は戦争の時代でしたが、21世紀の今は国際協調の時代です。これからは平和を求める市民の声が社会を変えていくのです。そのために市民の協調を大切にし、連携を組んでいきたい。現在の核保有国は力の誇示をしていますが、世界の指導者には広島、長崎の惨事を見てほしい。」
そう答えました。

平和は一歩一歩。

「平和は100年の体系です。」そう話す宮田さん。
「戦後75年かかってやっと、核兵器禁止条約ができました。今世界に存在する約13,000発の核兵器は、もちろん一気になくなるはずはありません。私たちの活動によって、100年の体系をもってなくしていかなければなりません。平和は一歩一歩なのです。」

宮田さんの「平和は一歩一歩」という言葉は、今回の証言会の中でとても印象に残りました。ひとりの力で、一気に大きな変化を生み出すことは出来ない。けれど、こうして被爆や戦争の経験を繋いでくださる被爆者の方からのバトンを受け取り、一人ひとりに出来る小さな行動が大きなうねりとなり、少しずつ平和な社会を作り出していくことが出来るのだと、そしてこのおりづるプロジェクトもその大切な一歩なのだと、改めて感じることが出来ました。

「非核のための活動において、私たち若者はどこに対して声を上げていけば良いですか?」
最後のこの質問に対する宮田さんからのメッセージは、参加者全員の心に強く響きました。

「平和」というのは、目に見えるものではありません。しかし、心に絶えず平和を持ち続けること、平和が、そして命がいかに大事なものかを語り合うことが大切です。平和は自分たちで作るものであり、与えられるものではありません。私もいつかアルゼンチンを訪れ皆さんと語り合いたいし、長崎、広島で亡くなった人たちの魂にも触れてほしい。心で感じ、自分の胸に刻むことが大切だから。

12時間の時差を越えて行われた今回の証言会。
会の最後に、主催者のアグスティンさんから素敵なメッセージをいただきました。

主催したアグスティン・サイスさん

「人が愛を持って協力し合えば、私たちはこのようなかたちで時間を共にしながら、平和を共有できると信じています。」

宮田さんの一言ひとことにはずっしりと重みがあり、そんな宮田さんのお話を聞きながら今回もこうして、平和を築き上げる仲間たちとの新たなつながりが出来たこと、とても嬉しく、そして頼もしくも感じます。

平和は一歩一歩。
この言葉を胸に、これからもこのプロジェクトを通して国を越えた人びとと手を取りあい、平和な社会への一歩を確実に歩んでいきたいと思います。

証言会の別れ際、参加者全員にありがとうの言葉と笑顔があふれるその瞬間、いつも喜びと希望で気持ちがあふれます。
ホストの皆さん、参加者の皆さん、貴重な時間を共有できたことに感謝します。
Gracias! (ありがとう!)

映像アーカイブ

証言会の記録映像

Our Voice Movementのネット配信:

イタリア語での報告:
https://www.antimafiaduemila.com/home/terzo-millennio/231-guerre/83239-miyata-takashi-sopravvissuto-a-nagasaki-il-suo-ricordo-e-un-grido-di-pace.html

https://www.antimafiaduemila.com/home/terzo-millennio/256-estero/83367-sopravvivere-alla-bomba-atomica-per-rafforzare-un-nunca-mas.html

スペイン語での報告:
https://www.antimafiadosmil.com/index.php/derechos-humanos/6341-sobrevivir-a-nagasaki-para-fortalecer-un-nunca-mas

https://www.antimafiadosmil.com/index.php/luchas-sociales/6320-miyata-takashi-sobreviviente-de-nagasaki-su-recuerdo-es-clamor-de-paz

文:高尾桃子
編集:渡辺里香

関連記事

  1. 被爆者の経験は忘れられないだろうか?~ギリシャの学生からの質問
  2. 心の傷をどう癒す?~エルサルバドル内戦体験者から問われて~
  3. 「昔よりはるかに威力を増した原子爆弾が存在しています。」米国ノー…
  4. 核兵器禁止条約・発効記念日をデンマークで
  5. ウズベキスタンの大学生に「地球上に核がある限りは核戦争が起こる可…
  6. モーリシャスの参加者「原爆は、人間の感情、愛、絆、文明、尊厳すべ…
  7. ベトナム戦争を経験したレ・リさんとの出会いが私を突き動かした
  8. 未だ150の核弾頭を保有するインドの人にも知って欲しい
PAGE TOP