第31回目のオンライン証言会は、レバノンのMAAN(The Socio-Economic Justice Initiative 社会経済的な正義を求める運動)主催のもと、6月10日、6名の参加者とともに開催されました。
昨年(2020年)8月4日、首都ベイルートでの大爆発により大勢の人々が犠牲となったレバノン。200人以上が死亡し、何千人もの人々が負傷、何万人もの人々が住む場所を失いました。
「同じ人災を被った国として、世界中の爆発事故の犠牲者、特に広島と長崎の原爆の犠牲者に私たちの活動を捧げたい。人災の残虐性を訴え、国際的な連帯を呼びかけたい。」今回のセッションは主催者であるサラ・タウィルさんをはじめ、参加者全員のこうした強い思いにより実現しました。
子どもたちに平和な世界を残したい。- 爆発事故で生き残った、シンノさんのお話
ベイルートでの爆発事故の被害者として自身の体験を話してくれたのは、大切な夫を失ったシャリマー・シンノさん。
爆発事故から10カ月。今でも身体からガラスの破片が出てくるというシンノさんは、身体的だけでなく精神的にも深い傷を負っていました。
「子どもたちは戦争や人災のない世界で、平和に、そして安心して暮らす権利があります。誰一人、私たちの命を奪う権利はありません。」
そう訴えるシンノさんからは、悲しみの中に強い憤りがまっすぐに伝わってきました。
「生き残った者として、広島とベイルートでなくなった命と、生き残ったすべての人々と連帯します。」
たくさんの思いとともに当時の経験を語ってくれたシンノさん。彼女の計り知れない喪失感と心の痛みを受け取り、私たちも胸が詰まるような思いでした。そして何より、こんな状況の中でも国際社会に声を届け、連帯を求めるシンノさんに感謝と敬意の気持ちがあふれました。
武力から平和は生まれない。
「罪なき人々の命を奪うなどあってはならない行為です。爆発により家族を失ったことへの悲しみは、原爆を経験したものとして十分に想像できます。その思いを胸に、被爆の実相をお話しします。」
レバノンの皆さんに寄り添うメッセージとともに、今回の証言者・上田紘治さんによる被爆証言がスタートしました。(上田さんは、この日の証言会に先駆けてMAANが出版した記念書籍にもメッセージを寄せました。)
1942年に広島で生まれ、現在は八王子市在住の上田さん。
被爆当時は3歳6ヶ月で、爆心地から約10kmの辺りに母と妹と一緒に暮らしていました。
1945年8月6日、8時15分―。
「人々が一日の日常生活を送ろうとしていたその時、罪なき人々に襲いかかった原爆。
原子雲の下でさまよった人々のことを想像してください。」
ゆっくりと落ち着いた声で語りかける上田さんの言葉に、今の私たちと同じように暮らしていたはずの当時の人々のこと、その日常が壊された夏の日に思いを馳せました。
上田さんのお話で一番印象的だったのは、叔父さんを亡くした友人のエピソードでした。その友人は、家屋の下敷きになった叔父さんを必死で助け出そうとしたものの、自分たちも危険な状況になりその場から逃げようとした。その瞬間、叔父さんは家族の背に向かって「鬼だ!」と叫んだ・・・
「足元にすがった人の手を振り切って自分だけが生き延びた被爆者は、生涯自分を責め続けます。『なぜ、あの人を助けてあげなかったのか』と。」
地獄のような体験をしたにもかかわらず、報復を叫んだことは一度もないと上田さんは言います。それは、武力から平和は決して生まれないということを誰よりも深く理解しているからでしょう。このことを世界共通の認識にするため、生き延びた被爆者の役目として声を届ける上田さん。核兵器のない平和な社会への想いを伝えるため、私たちも一緒にその役目を担いたいと思いました。
発信し続けよう、それが多数派になるまで。
上田さんの証言を聞き、主催者のサラさんは、
「心に響く貴重なお話をありがとうございました。こんな苦しみは誰ひとり経験することがあってはならないと思います。」と感想を話してくれました。
続いて参加者の一人、オランダから参加していたピム・ゲリットセンさんが意見を述べてくれました。
「私は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツによる占領で犠牲となった人々を追悼するため、毎年5月4日のオランダ戦没者追悼記念日に参加しています。当時を体験した人々は高齢となり、過去の史実を追悼し続けることは本当に必要なのかという疑問が近年人々の中に浮かんでいました。しかし、昨年ベイルートで起きたこと、そして76年前の広島での出来事、その両方のお話にとても心動かされ、やはり語り継いでいくということ、特に次世代に伝えてゆくことがどれほど重要かを感じることが出来ました。」
広島の原爆とレバノンでの大爆発は、どちらも人間による無責任で非人道的な行為が生み出した悲劇です。
その同じ悲しみと憤りを経験した両国だからこそ、分かり合えるものがあったのだと思います。
そこには、報復はしない、武力で平和は作れないという共通の認識がありました。
そして、非人道的な行為を許さないと国際社会に訴えかけていきたいという思いも同様に。
今回は6人という少人数開催ではありましたが、日本から約9千キロ離れたレバノンに暮らす人々との新たな架け橋と、きっとこれからもずっと支え合い連帯していく、確かな希望が見えました。
最後に、上田さんから参加者へのメッセージ。
「正しいと思うことは、発信し続けること。そうすれば、必ず多数派になります。65年前は核兵器のない世界なんて誰も見向きしなかったけど、今では核兵器を廃絶しようという動きが国際勢力になりました。真理はいつも小数から。多数派になるまで力を合わせて頑張りましょう!」と。
そう優しい笑顔で私たちを励ましてくれる上田さんにならって、私たちはこれからも亡くなったいのちと次の世代のために、発信し続けてゆきたい。
私たちの想いが世界を動かす大きなうねりとなることを願って。
文:高尾桃子
編集:渡辺里香